表と裏、そして奥

文政十一年のスパイ合戦

定説となっているような歴史的事実について、根拠となっている史料を丹念に読み直してみると実は違っており、本当はこうだった…などという真相をつきとめるのは実に気持ちのいいことである。
その定説が一般的にも受け入れられているような確固たるものであれば、それを覆す新説発見となると、センセーショナルな話題を提供することになるだろう。定説を提唱していた人が、斯界に遍く名の知られた有名な学者ともなれば、その人の史料解釈や論理の組み立てに全幅の信頼をおいて、誰も検証せず、そのままになってしまうこともありがちだ。
提唱者が影響力のある人であればあるほど、そうした度合いが強まるだろう。敬意を払いつつ実際に根拠となった史料を読み直してみると、意外や意外誤読をしていたり、史料操作が加えられていたりということがわかったりする。
定説が確立されたあとに、その事象に関係する史料が発見されるようなことがあれば、そんな例にとってはむしろ幸福なのである。新発見史料を契機に、あらためて定説の検証がなされる場合があるからだ。
秦新二さんの『検証・謎のシーボルト事件 文政十一年のスパイ合戦』*1双葉文庫)を読んでそんなことを考えさせられた。
本書に関心を持ったのは、目黒考二さんのエッセイ『だからどうしたというわけではないが。』*2本の雑誌社)がきっかけである。このなかで本書が高く評価されていて、読みたい本としてインプットされた(→2004/1/6条)。
文政十一年のスパイ合戦―検証・謎のシーボルト事件 (文春文庫)その後本書の文春文庫版を古本で手に入れたので、いつか読もうと思っているうち、ご多分に漏れずそのまま時は流れ、今になってしまった。再認識のきっかけは本書が双葉文庫の「日本推理作家協会賞受賞作全集」シリーズとして文庫化されたことだった。結局以前手に入れた文春文庫版は積ん読の山に埋もれて所在を確認できないまま、双葉文庫版を購い、ようやく読むまでに到達したという次第。
本書はシーボルト事件の謎を解き明かす、言わば「歴史ノンフィクション」というジャンルに属する作品だが、歴史ある日本推理作家協会賞(第46回評論その他部門賞)というお門違いのような賞を受賞している。
読んでみると受賞のわけが得心できる。禁制の日本地図などをオランダに持ち出そうとして発覚して当事者のシーボルトは国外追放になり、幕府天文方高橋作左衛門らがそれに協力したとして捕縛された幕末期の一大事件「シーボルト事件」の謎を解明したという意味で、一級のミステリに比肩する興奮をおぼえる書であるからだ。
国外追放の刑まで課されたシーボルトだが、オランダなどの海外には、彼が持ち出したコレクションがそっくり未整理のまま収蔵されていることが判明し、そのなかには禁制品も多く見られた。幕府はシーボルトが国外に禁制品を持ち出すことを差し止めて取り戻したはずではなかったのか。
そんな謎を秦さんは新出資料を整理しながら読み解き、これまでの定説では触れられてこなかった人間関係を明らかにして、定説の「裏」にあった事実を明らかにする。本書が面白いのは、「裏」を明らかにして定説を覆しただけにとどまらず、「裏」のさらに「奥」にあった大きな動きまで視野に入れて、これを大胆に推論したことで、二段構えの「推理過程」となるのである。
ただ歴史、とくに政治史に縁があるのが災いして、この「奥」の構造については、「なあんだ、結局そこに行きつくのか」と思ってしまったことを正直に告白しなければならない。とはいえ「裏」も「奥」も説得力のある謎解きだから、それらの謎が一枚一枚ベールが剥がされるかのように明らかになる過程はエキサイティングである。
そもそも文春文庫版の解説は目黒考二北上次郎)さんであって、この双葉文庫版でも同じく北上さんが解説の筆を執っている。二つの解説は違うものだが、北上さんは最初の解説の結びの文章をふたたび次の解説でも繰り返して引用し、解説文を結んでいる。それはこういう文章だ。

本書は超面白歴史読み物であり、一級のミステリーであり、ひらたく言えば珍しいほど知的興奮に満ちた書だ。こういう本はそうあるものではない。本書は第46回の日本推理作家協会賞・評論その他部門賞を受賞したが、それも当然の結果と言えるだろう。超おすすめの一冊だ!
これに付け加えるべき賛辞はない。稀代の“本読み”である目黒=北上さんが幾度も繰り返して絶賛する書、面白さは保証されたと言ってよい。