コウガグロテスク

もじを描く

平野甲賀さん初のエッセイ集『僕の描き文字』*1みすず書房)を読み終えた。シンプルな装幀の本が多いみすず書房平野甲賀さんの描き文字装幀の組み合わせ、けっこう画期的なのかもしれない。
ちょうどこれを読んでいたとき、東京堂書店に立ち寄ったら、平野さんの別の新著『もじを描く』(編集グループ)を見つけた。薄型の小冊子にしては1200円と高かったけれど、こういう本との出会いはタイミングを逃せば縁がなくなるということもあって、思い切って購入した。
平野甲賀。いまでこそあの特徴的な平野さんの描き文字による装幀本は見た目ですぐわかり、平野さん装幀本というだけで内容を信頼して買ってしまうことがあるほど、平野ファンを標榜し、いかにも昔から「平野ファンでござい」といった顔をしているが、たぶん平野さんを意識しだしたのはここ数年のことにすぎないはずだ。
旧読前読後を「平野甲賀」で検索してみると、一番古い記事は、2001年2月11日、唐澤平吉さんの『花森安治の編集室』(晶文社)について書いた文章(→旧読前読後2001/2/11条)に行き当たる。いまから約6年前。まあ、そんなものだろう。そこから遡っても、せいぜい数年のはずだ。
もとより仙台にいた頃から平野装幀本は読んでいる。上記2冊の本で取り上げられていたもので言えば、筒井康隆ロートレック荘事件』などがそうだ。単行本でも文庫本でも読んでとても好きなミステリだが、装幀平野甲賀を意識していたかと言えば、ノー。ただただ筒井さんのミステリという中味が、わたしこの本に対する関心のすべてだった。
このように平野さん装幀本好きとしては、つい最近その仲間入りした程度の新参者に過ぎないのだが、好きなものは好き。なぜかあのシンプルとはほど遠い地点にある平野さんの描き文字がある装幀本に惹かれてしまう自分がいる。
まったく知らなかったのだが、この描き文字の仮名版フォントが2004年に発売されており、このほど漢字版も含めた総合的なフォント『コウガグロテスク06』が発売されたのだという。限定100部、6万円。思わず触手が動きかけた。もうすぐ出るボーナス…なんてことも頭にちらついた。
でも冷静に考えれば、まさか平野さんの描き文字で事務的文書を作成するわけにも行くまいし(作成したら面白そうだが)、そもそもあの文字はポイントが小さければ効果を発揮しないだろう。ある特定の場面でしか使えそうにないことに気づいたので、酔狂なふるまいは慎むことにした。でもちょっと気になる。それにしても、「コウガグロテスク」とは言い得て妙なネーミングである。
僕の描き文字『僕の描き文字』はけっこう古くに書かれた文章(70年代)から収められ、平野甲賀というグラフィック・デザイナーの思考の経緯をたどってゆくことができる。対談やインタビュー、談話なども収められバラエティに富む。対する『もじを描く』は、描き文字についての断想集で、文字に対する平野甲賀の鋭い感覚が断章的に連ねられている。
『僕の描き文字』で印象に残ったエピソード。長谷川四郎宅で遭遇した彼の兄長谷川リンジロウの絵の目撃譚。

リンジロウさんの絵は、長谷川四郎さんが住んでいた桜上水のお宅で見たことがある。10号くらいの油絵で、椅子の上にまるまった猫がくすんだ色で描いてあった。「おい、この猫には髭がないのだよ」と四郎さんはうれしそうに笑った。「描き忘れたんですかね?」と聞くと「いやあ」と白髪頭をボリボリ掻いた。(「ものを見て書く手の仕事」)
髭のない猫の絵といえば、かの洲之内コレクションの猫の絵、あれを思い出さないわけにはいかない。長谷川リンジロウが好んで同じようなテーマの「髭のない猫」の絵を描いていたなら別だが、いま宮城県美術館にある洲之内コレクションの猫の絵、あれは長谷川四郎旧蔵ということになるのだろうか。
『もじを描く』のほうでは、ぐっと惹かれる鋭い洞察の文章がひとつあった。いま自分の仕事がらみであれこれ考えているテーマに共鳴するものだったのだ。いま引用はしないが、もし何かそのテーマで今後書くようなことがあったら、エピグラフとして拝借したいものである。