シリーズ物はむずかしい

玻璃の天

シリーズ物の本の感想はなかなか書きにくい。たいてい最初の出会いのときに全体的な面白さを書いているいるからで、二冊目以降は局所的な感想にとどまらざるをえず、書こうとしてもいまひとつ気分が乗らないのである。
最近読んだもので言えば、北村薫さんのシリーズ短篇集『玻璃の天』*1文藝春秋)がそうだ。
本書はいわゆる“ベッキーさん”物。昭和初年の東京を舞台に、女子学習院に通う社長令嬢花村英子と、彼女の家に雇われた謎の女性運転手別宮みつ子という二人の女性を主人公にした、ミステリ連作の第二作にあたる。一作目『街の灯』はずいぶん前に面白く読んだ(→2003/11/3条)。その後文庫に入った『街の灯』も買い求めたはずだが、読み返してはいない。
『玻璃の天』に収められた三篇「幻の橋」「想夫恋」「玻璃の天」をひととおり読み終え、あらためて『街の灯』の感想に何を書いていたかふりかえると、やはり今回読んで感じたことがだいたい書かれてあって困ってしまう。
仕方がないので局所的な感想だけ書く。前回北村薫さんが本シリーズの見所としてあげた「一つのワンダーランドとしての昔という面白さ」という点では、「想夫恋」のなかで、この作品が舞台とする昭和8年の東京銀座にできあがった教文館ビルがあげられるだろう。

新しい建物に入るのは、気持ちがいい。左のドアから入ると、大理石の螺旋階段が、優美な曲線を見せている。そこから地下に向かうと、「富士アイス」になる。(86頁)
江戸川乱歩へのオマージュ」という点もそのまま色濃く受け継がれている。とりわけ「想夫恋」では「鏡地獄」に言及され、『あしながおじさん』との共通性が指摘されびっくりする。ベッキーさんこと別宮みつ子は、英子に向かい、『あしながおじさん』はある意味探偵小説だと喝破する。ウェブスターはホームズを意識して『あしながおじさん』を書いたという話に、先日読んだ石上三登志さんの『名探偵たちのユートピア―黄金期・探偵小説の役割』*2東京創元社、→3/26条)を思い出した。
しかも「想夫恋」は乱歩「二銭銅貨」のあのトリックを意識した、暗号と日本文化の見事な融合が見られ、『あしながおじさん』を小道具に使ったブッキッシュな展開とともに、三作中ではこれが一番好きだ。
日本の古典が謎解きに一役買うということでは、「玻璃の天」でも効果的に使われているし、また「幻の橋」では、小林清親月岡芳年の版画が小道具として存在感を発揮する。こういう書巻の気の漂わせかたは北村さんならではである。
「街の灯」に仕掛けられたトリックのさらにひとまわり上をゆく大仕掛けが「玻璃の天」の背景になっているところも見事。それどころか、ベッキーさんの謎の正体がこのなかで明かされるのである。
そういう具合だから、もうこれでシリーズはおしまいなのだろうか。ゆくすえを気にしつつ、続篇が書かれることを期待するのであった。