あまりに演劇的な

かたき討ち

2月にフィルムセンターで田崎潤主演の「下郎の首」を観たとき(→2/23条)、タイミングよく氏家幹人さんの新著『かたき討ち―復讐の作法』*1中公新書)が出たので、買っておいた。
何年か前までは氏家さんの本が出ると買って読んだものだが、最近ご無沙汰していたのである。別に内容的につまらなくなったというわけではない。仕事の年数を重ねるにつれ、氏家さんが取り上げる世界に自分の仕事が近づいていき、「趣味としての読書」というわけにはいかなくなって、敬遠してしまったといったところだろうか。かといって勉強のための読書というほど専門が重なるわけではない。微妙な関係であった。
「下郎の首」は、敵討ちをする主人片山明彦に忠実な従僕田崎潤が、ふとしたはずみで主君の敵(小沢栄太郎)を討ってしまい、そのまた敵討ちに遭って、衆人環視のもと妖艶なご新造瑳峨三智子とともに哀しい最期を遂げてしまう物語。
敵討ちは殺人である。殺人の被害者にはそれを悲しみ憤る家族がいる。敵討ちが行なわれれば、その次に敵を討った人間が敵討ちに狙われるという無限の敵討ち連鎖が想定される。敵討ちされた側の関係者がその敵討ちを行なうという敵討ちの連鎖を、「再敵討ち」というのだそうだ。氏家さんの本で知った。
そして基本的に「再敵討ち」は許されなかったという。殺された人間がいるかぎり、関係者の復讐心はおさまらない。しかし復讐心の現実的発露である敵討ちに至るまでには、届け出をして奉行所に登録される必要があるなどの煩瑣な手続きが必要とされたほか、基本的に目下の者の敵討ちは許されなかった(つまり子や弟の敵を親や兄が討つということは禁止)というルールも存在した。実際敵討ちをするまでにはいくつもの障害を乗り越えなければならなかったのである。
敵討ちに狙われるほうの人間は「敵持」と呼ばれ、敵持の人間を手厚く保護することは武士の名誉とされたというのも面白い。殺人を犯して追われている敵持をかくまい保護する奇妙な現象は、「いざというときに裏切らない武士を一人でも多く確保する」という戦国武士の考え方の残滓だと氏家さんは主張する。
敵持のほうはとにかく逃げる。逃げて逃げて、自分をかくまってくれる相手を見つけたら飛び込む。可能であれば相手を返り討ちにする。潔くないのである。そしてこれが江戸初期までの敵討ちの実相なのだという。
江戸時代初期の武士社会にはまだ戦国時代の気風が残っていた。武士道に則って正々堂々敵を討たれるような「名誉」は、後世の平和が身に染みついた武士たちによって磨き上げられ、現代日本人が武士といってイメージする通俗的な武士像に過ぎない。本当はもっと汚く、潔くなく、ずるいものだったのだ。
敵持が逃げて逃げて逃げ回る。追いかけるほうと逃げ回る敵持、世間がこれを物見高い目で注目しはじめ、敵討ちも敵持も追いつめられる。見物人がぐるりまわりを取り囲んだなか、闘牛かプロレスかと見まごうアトラクションとして、庶民は敵討ちを熱狂的に受け入れる。歌舞伎の「研辰の討たれ」は、敵討ち物のパロディとしてうまくできているし、パロディが逆に江戸初期の実相に近づくという逆説にもなっている。
職業柄恥ずべきことだが正直に告白しておく。次々出てくる敵討ちの事例はそれぞれ面白いが、人間関係がなかなかつかみづらい。名前が○右衛門やら○之助やら似ており、何度か前に戻って読み直さないと、すんなり理解できないのだ。まるで翻訳物(外人の名前がすんなり頭に入らない)小説を読んでいるようだった。わたしがこんなふうだから、この世界に馴染みのない人はもっと大変なのだろうか。