追悼 桂木洋子

「やがて青空」(1955年、東京映画・東宝
監督小田基義/原作北条誠/脚本笠原良三桂木洋子小林桂樹/太刀川洋一/斎藤達雄沢村貞子松島トモ子浪花千栄子/白鳩真弓/清水谷洋子/舟橋元/力道山

朝日新聞の朝刊を番組欄から眺め、一枚繰って社会面をざっと見て紙面の左下隅にあった黒枠の死亡広告が目に入り驚いた。
「故黛敏郎妻 黛佳惠(桂木洋子)儀 三月に逝去いたしました/ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます/なお個人の意志により近親者のみにて葬儀を執り行いました/お心遣いはご遠慮申し上げます/平成十九年四月二十五日」とあったからだ(広告主体は有限会社黛敏郎音楽事務所・親族代表黛りんたろう)。朝の寝ぼけまなこが一気に醒めた。
そもそも往年の松竹の美人女優桂木洋子さんが黛敏郎氏の奥様で、黛りんたろう氏の母上にあたることを知ったのは古本で手に入れた『ノーサイド』1994年10月号(特集「戦後が似合う映画女優」、表紙写真は桂木洋子と若山セツ子が抱き合う印象的なものだ)によるから、つい最近のこと。調べてみるといままで見た桂木さん出演作品は下記の7作のみなので、それほど多くはない。このなかに代表作と言われるような作品はたぶん入ってはいまい。
それでもあえてあげるとすれば、「渡り鳥いつ帰る」で演じた薄幸な娼婦の役が印象に残っている。顔が小さく目はぱっちり、チワワのような童顔(褒め言葉)で、それでいながら純情可憐な役柄だけでなく、娼婦などの汚れ役も決して違和感なく受け入れられるような、不思議な魅力を持った女優さんだった。
1930年生まれというから、享年77か。四十九日の喪が明けてから公表されたのだとすれば、三月初旬にはお亡くなりになっていたのだろうか。往年のスターが人生の幕を下ろすにあたり、たとえば船越英二さんのように没後大きく取り上げられたのとは対極にある、静かな静かな幕引きだった。

  • 「真実一路」(1954年、松竹、川島雄三監督)
  • 「晩春」(1949年、松竹、小津安二郎監督)
  • 「泉」(1956年、松竹、小林正樹監督)
  • 「破れ太鼓」(1949年、松竹、木下恵介監督)
  • 「硝子のジョニー 野獣のように見えて」(1962年、日活、蔵原惟繕監督)
  • 「渡り鳥いつ帰る」(1955年、東京映画、久松静児監督)
  • 「やっさもっさ」(1953年、松竹、渋谷実監督)

このほかに何か桂木さん出演作品を観ようと、録りためていたDVDのなかから選んだのは、「やがて青空」という作品である。松竹専属の桂木さんが東京映画(東宝配給)で撮ったもの。どのような経緯が裏にあったのかわからないけれど、サラリーマン俳優として売り出し、この年正式な東宝専属になった直後の小林桂樹さんとの共演が「売り」だったのだろうか。
この映画での桂木の役どころは雑誌記者。祖母(浪花千栄子)の持ち込んだ縁談に見向きもしないバリバリ働く女性記者である。柔道選手権で優勝した選手に取材しようとしたら、行き違いになってしまい、そのとき敗れた準優勝の選手を人違いしてインタビューしようとしてしまう。それが小林桂樹で、彼は柔道の現役選手であると同時に、桂木の雑誌のライバル誌の記者でもあるという関係。
二人の間にはそれだけにとどまらない。小林は、桂木の弟太刀川洋一の大学の先輩であり、祖母が持ち込んだ縁談の相手でもあったという二重三重の縁があった。「強情っ張り」の桂木と小林が反発し合いながら、実はお互い惹かれて…というお決まりのストーリー展開ではあるが、線が細くて可憐で童顔の桂木洋子が、「強情っ張り」な娘で敏腕記者という芯の強い女性を演じても実に似合ってしまう。意外に(?)「大人の女性」役がいいのである。
もともとずいぶん前に力道山特集で流されたとき録画しておいた作品なのだが、力道山は特別出演でちょっとしか出てこない。桂木洋子に取材を受ける本人の役。何せ力道山はいまのわたしと同じ年齢のとき亡くなったのだからなあ。映画は三十代前半の頃だから、若々しい。
このほか、謹厳実直な教育者である桂木・太刀川兄弟の父斎藤達雄がいい味を出している。桂木・太刀川の末妹として、すばらしく芸達者な子役松島トモ子が出ている。家のなかでマンボを唄い踊って陽気に騒ぐので、父の斎藤から苦々しげに注意される。
太刀川が所属する大学ボート部の練習風景に戸田が出てくる。いまも戸田には漕艇場があるけれど、映画では水路のまわりは何もない野原である。