「私の三冊」の思い出

岩波文庫創刊80年記念

大学生協書籍部のレジ近くに、岩波書店のPR誌『図書』の臨時増刊が並んでいたのが目に入った。岩波文庫の創刊80年を記念しての企画本『私の三冊』である。このタイトルを目にしてから数秒後、心のなかで「ええっ」と驚き、思わず懐旧の情にひたってしまった。数秒の間にわたしは何を考えたのか。
岩波文庫の『私の三冊』と聞いて思い出すのは、創刊60年を記念して出された、同様の『図書』臨時増刊号である。これに接したときの思い出についてはすでに書いた(→2003/8/11条)。
重複をいとわず当時をふりかえれば、大学2年、教養部に所属していたわたしは、毎日のようにアパートに遊びに行き入り浸っていた友人が岩波文庫を熱心に読んでいるのに触発され、岩波文庫を読むようになった。いまからは考えられないかもしれないが、大学に入るまで読書はもっぱら推理小説一辺倒、岩波文庫など読んだこともなかったのである。
このわたしの岩波文庫への関心をさらに増幅させたのが、創刊60年記念『私の三冊』であった。同誌を飽かずに繰り返しひもとき、そこに登場する「知識人」たちの岩波文庫ベストスリーとコメントを読んでは、気になった岩波文庫本を読み始めた。遅まきながらの「教養的読書体験」である。
このときもっとも挙げる人が多かったのが、中勘助の『銀の匙』だった。このことは「はじめに」でも紹介されている。それまで中勘助という名前を聞いたことがなく、当然『銀の匙』という小説の存在もこれで初めて知った。その後岩波文庫で『銀の匙』を読んだのは言うまでもない。それどころか、後年同社から刊行された『中勘助全集』まで買ってしまったのである(現在は処分して手もとにないけれど)。
その他60年版『私の三冊』や友人の影響で読んだ本として、『寺田寅彦随筆集』があったように記憶する。
要するに、80年版『私の三冊』を見て、自分が熱中した『私の三冊』が創刊何年を記念したものだったか、記憶の糸をたぐり寄せてみればそれが60年記念であることに気づき、それから20年が過ぎてしまったことに唖然として「ええっ」と驚いてしまったのである。ちょうどわが人生の半分の時間が、二冊の『私の三冊』の間に横たわっている。
60年版『私の三冊』は、ともすれば岩波文庫そのものよりもわたしにとって貴重な本、もし自分が「私の三冊」を選ぶよう求められた場合、どの岩波文庫作品より先に反則承知でこれを挙げるのではないかというほど強く動かされた小冊子なのであった。たしかその後珍しくも重版され、同じようにレジ奥に置かれていたのを目にして、何冊かもらってきたように記憶する。これらは処分せずに持っているはずだが、どこにあるかわからず、確認できないのが残念だ。
さて今回の80年版、回答者のラインナップを見ると、直接面識のある人(職場の同僚や元同僚)や著書を愛読している人(坪内祐三さんや矢野誠一さん)もいたりして、ますます20年という時間の重みを噛みしめ、隔世の感を深くしているところだが、巻末の書名索引を眺めて、またまた別種の感慨が襲ってきた。
最多得票作品は『きけ わだつみのこえ』であり(18名)、20年前の『銀の匙』は6名にとどまった。『寺田寅彦随筆集』は影すらない。全体的に票が分散している印象だが、20年間の点数増加もあるから、これは当然だろう。すでに古典的作品となった『吾輩は猫である』『忘れられた日本人』の「わ」組がともに8名と健闘しているのも注目だ。
ここに回答を寄せた各界知識人の、短い文章に凝縮された岩波文庫への思いに触れると、読むほうとしても厳粛な気持ちにさせられる。これは60年版のときと変わらない。岩波文庫アウラはなくなっていないのだ。
あれ以来買い集めてきた岩波文庫は専用の文庫ラックに並べ、時々眺めては自己満足にひたっていたのだが、東京に引っ越すとき(いつの話だ!)に段ボール箱に詰めてから、荷ほどきせずに本置き部屋の片隅に沈んだままになっている。20年の間における、わたしのなかでの岩波文庫の位置づけの変化を指し示すものだろうか。
今回の80年版『私の三冊』で、ふたたび岩波文庫への関心を取り戻せるかどうか。わたしが20年前にそうだったように、岩波文庫に「燃える」若者は出てくるのだろうか。