子と子供と親と大人

小学五年生

重松清さん新作短篇集『小学五年生』*1文藝春秋)を読み終えた。一篇が十数ページ程度の短い短篇が全17篇。どの短篇も主人公は小学五年生の男の子。10歳から11歳と言ったところ。
もうそんな時期から30年も経ってしまったから、その頃を思い出そうにもおぼろげにしか浮かんでこないが、本書を読みながら「ああ、そういえばそんな体験もあったよなあ」と懐かしくさせられることがたびたびだった。
まだ大人からはほど遠い。でもちょっと大人を意識する。まわりを見回すと、この年ごろの女子たちはませてきて、男子よりひと足先に成長するので背丈で追い越される。少しずつまわりの女子を意識し出してくるのもこの頃。バレンタインデーでチョコをもらえるかどうかなんてことも、気になってくる。
まだ子供だから、本人は意識せぬまま、ちょっとした言動で友人を傷つけてしまうこともある。でもいっぽうで少し周りが見えてくるのもこの頃。クラスの中での自分の立場というものもわかりはじめ、周囲に気をつかって協調してゆこう、そんな気持ちも芽生えてくる。
それにしても重松さんは相変わらず子供の気持ちの細かいところまで想像が行き届いて驚かされる。忘れかけていた子供の頃の気持ち、ウキウキ感やドキドキ感、そしていま思えば穴があったら入りたいほど恥ずかしくて思い出したくないような気持ちまでが「ああそうそう」と浮かんでくるのである。
わたしは転校の経験がなく、したがって転校生を迎えた立場しか知らないのだが、転校後前の学校の友達と遊ぶ約束をしたものの、新しい環境に慣れると前の学校での絆も色褪せてしまうといった転校生の物語「葉桜」や「南小、フォーエバー」を読んで、たとえば高校が別々になった中学時代の友人と会うときの気持ちを重ね合わせた。
幼児のときから視力が弱く、そのための大手術を近々に控えた四歳下の弟を持つ「小学五年生」の物語「おとうと」を読んで、やっぱり目頭が熱くなった。
「小学五年生」の男子が抱くかすかな恋心を余すところなく描き、「そう、そんな結末ありだよなあ」と身に沁みる思いを抱かされるささやかな恋愛譚「雨やどり」や「プラネタリウム」を読んで、あのころの純な気持ちが妙に懐かしくなったり、幼くして父親を亡くしてしまった「小学五年生」の少年が主人公の「ケンタのたそがれ」や「すねぼんさん」を読んで、思わず自分が父親の立場だったらと子供のことを考えたり。
重松さんの小説を読みながら、子供の頃に帰ったり、親としての現実に引き戻されたり、そのうえで考えたくない想像をさせられたり、そんな気持ちの大きな揺れを味わい、さてパタリと本を閉じれば、胸の中にはスッと涼風が駆け抜けていったような清々しい後味が残る。だから重松さんの本が出るとすぐ読みたくなる。