手に入れた喜びと読む喜び

團十郎切腹事件

戸板康二『中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件』*1日下三蔵編、創元推理文庫)を読み終えた。
思えば2004年に『BOOKISH』で戸板康二特集*2を組んで以来(いや、それ以前からだ)待ち望んでいたこの全集、昨年あたりから延期に延期を重ね、とうとう2月末には本当に出るらしいと知って、久しぶりに本屋に並ぶのが待ち遠しい思いにさせられた本だった。
ちょうど2月末日から出張に出る予定が入っていたため、何とかそれ以前に手に入れて出張のお供にしたいと考えていたが、なかなか並ばず焦っていた。ちょうど出張前日、仕事帰り神保町に出る用事がある。並んでいるだろうか。いつも立ち寄る東京堂書店ではなく、ふだんはあまり利用しない三省堂書店にまず行ってみる。大書店なら…という期待からだ。でも残念ながら並んでいなかった。
がっくり肩を落とし、出張には別の本を携えるしかないかなと諦めかけた瞬間、頭にひらめくものがあった。あそこなら…。思い出したのは坪内祐三さんのエピソードだ。同じように坪内さんも神保町で新刊文庫を買うため三省堂に入ったが見当たらず、書泉グランデに行ってみると並んでおり、「書泉グランデをバカにしてごめんね」と謝ったあの話。
だからひょっとして書泉グランデに…と足を向けてみると、あったのである。本屋に無関心な人には気にもとまらないような話を本に書いてくれた坪内さんに感謝する。
話はこれで終わらない。創元推理文庫の棚に向かったら、ちょうどその場所に“戸板康二ダイジェスト”のふじたさん(id:foujita)がいらっしゃるではないか。しかもわたしが目指す本を手にして。お互い首を長くして待っていた本だから、立ち話で入手の喜びを分かち合う。お聞きすればふじたさんもまず三省堂に行ってみた由。
それにしても同じ日の同じ時間帯、相前後して同じ本を目指し同じ書店に入るとは何たる偶然。どちらか一人がたとえば三省堂から東京堂に移動したり、諦めて帰ったりしたらこうならなかった。そもそもわたしが坪内さんの話を思い出さなかったら、ありえなかったかもしれない。
思えば何年も前、ふじたさんはわたしが戸板さんの本の感想(雅楽シリーズの『家元の女弟子』だったか)を書いたことに目をとめてくださり、メールを下さった。それ以来懇意にさせていただいている古い書友と、そのきっかけとなった戸板さんのミステリ本発売の日に偶然出会うなんて。このような嬉しい記憶が、輝かしき『中村雅楽探偵全集』に伴ったことを素直に喜ぶ。
さてそうして入手し、旅行鞄に忍びこませた本書だが、出張中に読み終えるどころか、3週間かかってようやく最後までたどりついたという体たらく。最近読書ペースがとみに落ちている。
ほとんどが再読にあたると思うのだが、あらためて、歌舞伎の小道具や決まり事をトリックに利用した着想の妙に感じ入った。歌舞伎ミステリの流れは『小説・江戸歌舞伎秘話』*3(扶桑社文庫)へとつながってゆく。
探偵役が老歌舞伎役者だからあたりまえと言えばあたりまえなのだが、ここに収められた短篇の多くが歌舞伎の世界を舞台にしている。そのうえで今回気づいたのは、雅楽物が書き継がれていく過程で、舞台が歌舞伎の世界にとどまらず、それを含んだ芸能界に広がっていることだ。
新劇の世界に起きた「ノラ失踪事件」、ラジオ局内で起きた殺人事件を雅楽が解く「六スタ殺人事件」、テレビCMのタレントの謎の死を扱う「死んでもCM」、文士劇を取り上げた「文士劇と蠅の話」などなど。わけても「六スタ殺人事件」などは、いわゆる「ギョーカイ」を殺人事件の舞台に取り上げた早い例なのではないか。真相解明の決め手となったのも、業界人特有の癖だった。
ブッキッシュなミステリであることも特筆すべきだろう。そもそも「團十郎切腹事件」が八代目團十郎の死の真相を記した写本が鍵になるし、「等々力座殺人事件」では役者の芸談本が重要な役割を果たす。作中人物が書きとめた日記やメモを丹念に読み込むことで事件解決につながるケースも稀でない。ワトソン役となる竹野記者が付けている日記も登場する。このような「書き物」が実に印象深い。
風俗描写にも滋味がある。先日観た映画「彼女だけが知っている」とシンクロする、60年頃のクリスマスイブの銀座風景がそうだ。その意味では、大正末年の新富町にあった私立探偵事務所を舞台に、雅楽追想を筆録したという体裁をとる「不当な解雇」が素晴らしい。登場人物の一人はある日、新宿の百貨店から四谷までぶらぶら歩き、省線万世橋までゆき、神田の古本屋をひやかした」。この時代神保町を訪れるためのルートの一つだったのだろう。
雅楽の人となりや竹野との付き合いも風雅だ。「八重歯の女」の冒頭、銀座を歩いていた竹野は偶然弟子を連れた雅楽と出会う。「声をかけると、今日は、美術倶楽部の内田家の売り立てを見に行ったのだといった」。こんな雅楽の趣味のよさ。「死んでもCM」では、暮れの挨拶のため千駄ヶ谷雅楽邸を訪れた竹野は、「切山椒を土産に」携えた。
このシリーズを名作たらしめているのは、謎解きの面白さ、道具立ての妙にとどまらないこうした細かい人間描写、風俗描写が生き生きしているからだ。そのうえでもっとも強い印象を残すのは、殺人事件を解決したあとにただよう重苦しい空気。雅楽も竹野も、事件が解決したからといって決して素直に喜ばない。人が殺されているという事実がそこにあるから。切れ味鋭い名探偵の謎解きぶりと表裏一体となる人間への配慮。小説を読む喜びがあふれてくる。
なお、読後坪内さんの『本日記』*4本の雑誌社)を繰って当の挿話の出所を探したところ、坪内さんは学研M文庫新刊の澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』を買うため東京堂三省堂と渡り歩いたすえ、「まったく期待を持たず書泉グランデに入」って見つけたのだった(2002年9月11日条)。「小馬鹿にしてごめんね」と坪内さんは率直に謝っている。この坪内さんの挿話が実体験に裏づけられたことで、「新刊(文庫)を早く手に入れるなら書泉グランデ」という考え方が刷り込まれた。