観者の空間

食べる西洋美術史

先ごろ仕事がらみで「宴会の歴史」について考える機会があった。日本人はどのような酒宴を催していたのか。前近代の身分制社会において、酒が入る宴会にはどのような意味があったのか。文字史料や絵画史料に宴会はいかに記録されているのか。発掘遺物からどの程度宴会の空間を推し量ることができるのか。などなど。
このあいだ出た宮下規久朗さんの『食べる西洋美術史―「最後の晩餐」から読む』*1光文社新書)をたまたま選び、読んでいたら、こうした宴会のテーマとも関係する内容だったので驚いてしまった。せっかくの趣味の読書、仕事に引きつけてしまうのは野暮の骨頂ではあるが、何か参考になることはないかと思わず熟読してしまう。
著者宮下さんは兵庫県立近代美術館・東京都現代美術館を経て現在は神戸大学の美術史の先生をしている方で、専門はイタリアを中心とした西洋美術史、日本近代美術史だと裏表紙にある。
本書は、西洋美術に特徴的な、絵画における食事風景、食べ物が描かれた静物画を読み解き、この観点から西洋美術史の流れを展望したユニークな内容となっている。
副題にもあるように、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」は食事風景を描いたものとなっている。キリスト教においては、聖体をパンに、聖血をワインに見立て、これを食する儀式がミサとして重要な宗教儀礼であった。

パンというもっとも基本的な食べ物に象徴的な意味を付与し、食べるという、本能に基づく動物的な行為を神聖な儀式に高めたのである。肉体も肉も聖体という象徴によって聖化され、食物の存在や食べる行為を肯定する思想的基盤となった。(247-48頁)
したがってキリスト教世界において、食べる行為を描いたり、食べ物そのものを絵画に描くことは何のためらいもなかったのである。このあたりがキリスト教文化が基盤にないわが国と違うところだろう。
テーマからずれるが、本書を読んでいて気になったのは「観者」という言葉である。いま「かんじゃ」と打っても「かんしゃ」と打っても「観者」に変換されず、「観」と「者」を別々に変換せざるを得なかった。では最近の造語なのかと思いきや、『日本国語大辞典 第二版』にも『広辞苑』にも項目が立てられている。意味はたんに「観る者」というもので、きわめて簡単な説明しかないが。
絵画を観る者ということでは、「鑑賞者」という言葉もあろうが、たぶん「観者」にはたんに観るだけでなく、享受するという意味合いも入っているものと見受けられる。前近代における絵画では、画家―鑑賞者という関係だけでなく、そのあいだに「注文主」「制作主体」という概念も挟まれる場合がある。画家とパトロンの関係でもあろう。
絵は注文主の邸宅に飾られることを前提に描かれるという閉鎖性を持ち合わせ、飾られる場所があらかじめ決まっている場合もあったに違いない。
カラヴァッジョが1601年に描いた「エマオの晩餐」という絵が第一章で紹介されている。復活後のキリストがそうとは気づいていない弟子達に対しパンを割いて与えようとした福音書の場面を描いたものである。宮下さんは、中央に描かれたキリストの手が「絵の表面を破って、絵を見る者(観者)の空間に侵入するような効果を与えている」として、さらにこう続けている。
半身像の人物はほぼ等身大であり、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあるこの画面の前に立つと、この夕食の席に参加しているようなイリュージョンをおぼえる。この作品は聖堂の広大な空間ではなく、ローマの貴族マッテイ家の邸宅の一室に飾るために制作されたため、画面の近くから鑑賞することが想定されていた。果物籠の置かれたテーブルの前には、観者が画中の食卓に臨席できるように、ほぼ一人分のスペースが空いている。そのとき観者はちょうどキリストと向かい合うような位置にいるのである。(37頁)
このような展示場所があらかじめ想定され描かれた絵だけでなく、教会のような公共空間において、多くの「観者」に観られることを前提で描かれた絵ももちろんある。「最後の晩餐」などはまさにそれにあたる。
絵画において、これを観る人の存在は当然意識されるべきだが、西洋の宗教画の場合、それだけでなく観者が置かれた空間とも言うべき絵のこちらがわの広がりも常に意識されていたとおぼしい。これを結びつけるのが食物であり、酒宴、宴会の場面であったと言えるだろうか。絵の向う側とこちら側双方が地続きであり得る空間、それが酒宴であり食事の場であった。
そもそも西洋における静物画の伝統はこうした宗教画における食物描写の系譜を引いているという指摘(その点ダリも例外ではない)も合わせ、西洋絵画への関心を大いにそそられる本であった。