菅井一郎が降ろされた映画

ミステリ劇場へ、ようこそ。第2幕

「その壁を砕け」(1959年、日活)
監督中平康/脚本新藤兼人/音楽伊福部昭長門裕之/小高雄二/芦川いづみ西村晃清水将夫芦田伸介渡辺美佐子岸輝子神山繁/信欣三/大滝秀治鈴木瑞穂/下條正己/田中筆子/沢井保男/松本染升/峯品子/木浦佑三

前日夜に九州出張から帰り、ゆっくり休めるのはこの日曜だけだというのに、性懲りもなくまた映画を観るため阿佐ヶ谷に出かける。ふたたび自問する。ここまでわたしを衝き動かすものは、いったい何なのだろう。
もっとも映画自体は、そこまでして観に行った甲斐のある傑作サスペンスだった。さすが評価が高い作品であることは有名なのか、館内も超満員の大盛況。中平・新藤コンビといえば、「殺したのは誰だ」(1957年)を思い出す。こちらも絶品だった(→2006/4/15条)。
東京に住む自動車整備工の小高雄二はお金を貯め20万でやっと買ったライトバンを駆り、新潟の病院で看護婦をしている恋人の芦川いづみを迎えに行く。二人は結婚の約束をしているのである。
深夜、新潟に入り山あいの村(中魚沼郡鉢木村とある)を通りかかったところで、ある男が前に立ちふさがり、車に乗せてくれと頼まれ、しばらく乗せて駅手前の川にかかる橋のたもとで彼を降ろす。ところがその直後、駅を過ぎたところで突然駐在所の警官から車を停められ、理由も聞かされずに連行されてしまうのであった。彼が車で通りかかった時間、村の酒屋で強盗殺人事件が発生し主人が殺害され、その犯人と目されたのである。
無実の罪を着せられ暴れ狂う小高。看護婦を辞し新潟駅で彼を待つ芦川いづみの前に刑事二人がやってきて、任意同行を求められ、小高が逮捕されたことを知らされる。恋人が殺人を犯すような人間ではないと毅然として言い、無罪を信じて釈放まで待とうとする芯の強い女性役として、芦川はまさに適役。凛とした美しさに見とれてしまう。もうすぐ会える小高の姿を思い浮かべうっとり笑みを浮かべる場面にこちらもうっとりする。
小高の無実が明かされる過程のミステリ的味わいも面白いのだが、それ以上に、複雑に絡んだ人間模様がそれぞれ適役の俳優によって演じられていることもあり、100分があっという間だった。
殺人現場に最初に駆けつけた村の駐在が長門裕之。彼は本署に異動して刑事になりたいという夢を持っている。小高検挙の手柄で長門は望みどおり本署に移るものの、途中で小高の犯行に疑問を持ち、別に捜査を開始する。その経過も息を呑むスリルに満ちていた。ふと思いついたのだが、長門裕之主演映画特集など、どこかで企画してくれないものか。彼が主演した日活アクション以前、あるいはその裏側の作品に佳品が多いような気がする。「人間狩り」しかり、「豚と軍艦」しかり、「銀心中」しかり。
さて、独身の長門がひそかに思いを寄せているのが、被害者の家の嫁で、その家の長男だった夫が亡くなり肩身の狭い思いをしている未亡人渡辺美佐子。事件の鍵を握る人物らしいことが観客にも察せられる。渡辺演じる未亡人の塞ぎ気味の美しさにこれまたうっとり。夫を殺され、自らも重傷を負い、小高を見て犯人だと叫んだ妻の岸輝子の放心演技も○。長門の境遇と思惑、渡辺の境遇と思惑が絡んで物語は進行し、最後にそれが解きほぐされるという展開の妙。
小高を検挙する主任刑事の西村晃、署長の清水将夫も存在感がある。署長は内心小高の犯行に疑問を持ち、芦川いづみに友人の弁護士を紹介してあげる。それが芦田伸介。テレビで人気の丸山弁護士のような、一見野放図ながら、いったん引き受けるととことんまで面倒を見てくれる人間味にあふれた人物。
ところでこの役はもともと菅井一郎が演じる予定だったが、途中で中平監督によって降ろされたという挿話は、中平まみさんの『ブラックシープ 映画監督「中平康」伝』*1ワイズ出版、→2006/5/30条)で知ったものだった。
映画を観るまでこの映画がそれであることはすっかり忘れており、帰宅後同書を読み直して思い出した。芦田伸介のやさぐれ風弁護士は適役だが、菅井一郎でもそれなりに良かったのではないか。彼の姿をあてはめて想像すれば、芦田より理に勝ったような弁護士像が浮かぶ。それが監督の抱く弁護士像にそぐわなかったのか。
帰宅後“日本映画データベース”やgooの映画検索で配役を復習していたら、弁護士役菅井一郎となっている。これらのデータは何に依拠しているのだろう。公開以前のプレスリリースのようなものなのだろうか。同じく被害者の妻役に北林谷栄とありこれは前述のとおり実際は岸輝子である。菅井の例を考えれば、これも交替させられたのだろうか。謎だ。
この映画では、芦川の住む新潟、裁判が行なわれる地裁のある長岡、渡辺美佐子の実家がある柏崎など、新潟のいくつかの町が登場する。とりわけ新潟駅長岡駅柏崎駅などの古い駅舎のたたずまいにそそられる。長門裕之が真犯人を尾行して上野に向かう汽車に乗っているとき、車窓に広がる景色は、洲之内徹『気まぐれ美術館』でも取り上げられた地元の画家佐藤哲三の描く絵にそっくりで感動した。田んぼのなかにタモの木が一直線に並ぶ風景。
また、中平さんの本にもあったが、伊福部昭による音楽も素晴らしく、サスペンスの効果を盛り上げるのに寄与している。芦川いづみ登場シーンでは、静かで明るめの曲調になっているあたりもいい。
中平さんの本を読むと、伊福部昭の音楽だけでなく、この映画では効果音にも細かく配慮されていたようだ。そこに書かれてあった点について、たしかにそのような音がバックにあったことは記憶に残っていたが、使い分けまでは気づかなかった。