観る一日 夜は歌舞伎

  • 二月大歌舞伎・夜の部

仮名手本忠臣蔵 五段目/六段目/七段目/十一段目

歌舞伎の感想が映画のそれにくらべあまりに投げやりであるという至極もっともで手厳しい指摘(笑)をある方から受け、さて夜の部はまじめに観なければと力を入れる。池部良トークショーの余韻にひたる間もなく、池袋から丸ノ内線で銀座に出、歌舞伎座へ向かう。それにしてもわたしはなぜこうまでして映画だ歌舞伎だと出歩かなければならないのか。自分を映画趣味歌舞伎趣味に走らせるものは何なのか、一度立ち止まって冷静に考えなければならぬ。
それは今後考えるとして、さすがに一週間の疲れに加え土曜も朝から映画とトークショーに力が入ったためか、反省もむなしくまたしても歌舞伎観劇中ウトウトする羽目になった。珍しい(?)梅玉の定九郎が観られた五段目までは良かったが、肝心の勘平切腹の六段目でダウン。菊五郎の勘平は一度観たという油断が眠気を誘ってしまった。
ただ六段目でダウンしていたおかげで、七段目は覚醒した頭で観ることができた。まじめに観ていない人間が言うのも憚られるが、今月の忠臣蔵ではこの七段目が一番ではないだろうか。吉右衛門の由良之助、玉三郎のお軽はもちろんのこと、何をおいても仁左衛門の寺岡平右衛門が抜群に素晴らしい。
途中一度と、最後に東下りを認められた嬉しさを表現した平右衛門の義太夫の糸に乗る動きのきびきびしたところを観ていると、気持ちの中にさっと涼風が吹き抜いていったかのようであった。このあたりの気勢のいい平右衛門を観ることができただけで元を取った気分。
ところで関容子『芸づくし忠臣蔵*1文藝春秋、文春文庫版もあるが、見あたらなかったので元版に拠る)の七段目の章を読み返していたら、途中から出語りになる義太夫について、関さんがこんなことを書いていた。

由良之助、平右衛門を受け持つのは、重厚な芸風の太夫、おかるは高音域のよく出る「声屋」と言われる美声家が受け持つ。(239頁)
三人出ていた太夫のうち、右端の清太夫さんは「重厚な芸風の」に当たっているのだろう。三人の真ん中の太夫が「声屋」だったとおぼしく、わたしはこの太夫の美声に聞き惚れた。最近筋書を買わないから何というお名前なのか存じ上げないのだが、これから注目したい太夫である。