小沢昭一の「愛列島心」

わた史発掘

最近本を読み終えてもすぐ感想を書かないことが多くなった。しばらく経つと中味を忘れてしまい、そのままという本が増えてゆく。映画は本以上に観終えてすぐ感じたことを書かないと忘れてしまうので、何とか感想を書いているけれど、このため肝心の読前読後のほうがおろそかになってしまっていけない。
読みながら気になった箇所に付箋を貼り、あとで感想を書くためのよすがとしている。感想は読書をしているうち多かれ少なかれ自ずと浮かんでくるわけだから、読後これを練る時間が足りなくなったというべきか。朝晩仕事の行き帰り、家から駅、駅から職場のそれぞれ十数分の徒歩時間が絶好の思索タイムだったことを思えば、いまわたしはこの時間何を考えて歩いているのだろうと訝ってしまう。
小沢昭一さんの自伝的著書『わた史発掘―戦争を知っている子供たち』*1(文春文庫)を読み終えたのだが、それから一週間ほど放っておいてしまったため、何を書こうと思ったのだったか、すっかり忘れてしまっている。
いまこうして書きながら、千田是也に感化を受け俳優座養成所に入り、入ってからは、以前小澤僥謳さんの『火宅の人 俳優小澤栄太郎』*2角川書店)を読んだとき触れた、小澤栄太郎と深い関係にあった女優堀阿佐子に強い憧れを抱いたという話を思い出した。そのほかはとんと憶えていない。
そこで、あらためて付箋を貼った箇所をめくってみる。子供のとき芝居ごっこに凝って、切符を作って配ったり、会場では「客を表から入れて裏から帰」したり、「「御案内!」「御案内!」って連呼しながら客入れをし」たという挿話(「その四 蒲田篇」)。
麻布中学時代、畏敬する先生が極右の人で、ある日白旗を持ってきて血で日の丸を染めようとしたとき、同級生のフランキー堺カサブタをはがして少し血を追加した挿話(「その十四 国領先生篇」)。
いたずら坊主だった小沢少年は、小学四年のとき悪さが過ぎて先生から立たされた。その立たされ方が尋常でなく、現在ではありえないだろうひどいもので、だからこそその図を想像して噴き出してしまう。それは「職員室に昼食の出前に来るソバ屋が、カレーライスを重ねる時に皿と皿の間に入れる木の輪を忘れていったのを先生は利用して、そこに「私はハナタレ小僧です」と書いた紙をはり、で、それを首にかけられたまま」、授業時間も休み時間も立たされ、校内のさらし者になったという挿話(「その二十三 年表篇」)。
印象に残った文章は次のようなもの。

ラジオ時代、ナマの国技館ゆきは私には驚きの連続で、私は花道から支度部屋のあたりをチョコマカ動きまわって細かく観察し、相撲社会の一挙手一投足に興奮した。いまにして思えば、相撲場のうらおもてにみなぎる、あのなんとも華やいだ気分は、劇場よりもはるかに芸能的な世界であった。(「その九 相撲メン 鯱の里篇」)
相撲とはそれが本質なのだと思うし、一度だけの経験ながら両国国技館で相撲を観たときわたしも似たような興奮を味わったことを思い出すと、八百長八百長と騒ぐほうがおかしいように思える。
戦前のほうが絶対美味かったものは、まずもってラーメンと塩せんべいである。(「その十 芸能的環境篇」)
戦前のラーメン、食べてみたかった。
(…)私は必要以上に非愛国的立場を強調しているようだ。
 だけれども、「日本列島」というのは好きなんですよ。
 だって私は日本列島しか知らないんだから。米しか食わないんだから。
 でも、「日本」と「日本列島」は断じて違う。
 だから「愛列島心」はあっても、私に「愛国心」はない。ないというより、あの時で、「愛国」には、もうホトホトこりた。(「その十五 海軍兵学校篇」太字は原文傍点)
話はちょっとそれるが、近年、私は東京をはなれる機会が多い。旅は決して嫌いではないのだが、しかし、その旅から帰京する度毎に、列車が川を渡って東京へ入ると、必ず、心がはずむのである。あのひしめく屋根、ゴミゴミした街を見ると、不思議に活力が湧き、血がたぎってくる。それは〝故郷〟へ戻った安堵感というものは違うようだ。東京は、そこへ戻って来ることで、ホッとするよりも、ピリッ或いはシャンとするのである。そして東京人は、ピリッと、シャンとすることで安堵感を持つというようなところがあるように思う。(「その十八 復員篇」)
引用ばかりで長くなった。最後の一文など、卓抜な東京論、東京人論であると思う。