戦争を生き抜いた人びと

  • 韓国ドラマの原点はここに!松竹メロドラマ大特集@衛星劇場(録画HDD)
「君の名は(第一部)」(1953年、松竹大船)
監督大庭秀雄/原作菊田一夫/脚本柳井隆雄佐田啓二岸恵子淡島千景月丘夢路川喜多雄二笠智衆/小林トシ子/野添ひとみ淡路恵子望月優子市川春代市川小太夫/三井弘次/北龍二
「君の名は(第二部)」(1953年、松竹大船)
監督大庭秀雄/原作菊田一夫/脚本柳井隆雄佐田啓二岸恵子淡島千景月丘夢路川喜多雄二笠智衆日守新一北原三枝/小林トシ子/野添ひとみ望月優子市川春代市川小太夫柳永二郎/三井弘次/桂小金治
「君の名は(第三部)」(1954年、松竹大船)
監督大庭秀雄/原作菊田一夫/脚本柳井隆雄佐田啓二岸恵子淡島千景月丘夢路川喜多雄二笠智衆/小林トシ子/野添ひとみ望月優子市川春代柳永二郎大坂志郎三橋達也/紙京子

韓国ドラマ(この場合映画も含むのだろうか)のこってりした物語展開の淵源は日本の大映テレビにあるとよく言われる。実際影響があるのかもしれないが、優越感を抱きたい日本人の考え方なのかもしれない。どの国にも多かれ少なかれこうした脂っこくて胃にもたれるようなメロドラマはあるだろうから。君の名は DVD-BOX
食わず嫌い承知で個人的な好みを申せば、韓国ドラマに食指がそそられことはない。これからも観ようとは思わない。さらに言えば、韓国ドラマが好きという人の気持ちがわからない。どうせ観るなら「原点」の日本の話のほうがまだ感情移入しやすい。
もとより「君の名は」のような脂っこさは嫌いではない。わたしは鈴木京香主演のNHK朝の連続テレビ小説によるリメイクにより、「『君の名は』ってこんなドラマだったんだ」と知った口である。1991年から92年にかけてというから、大学院生の頃だ。
鈴木京香…。いまでは「華麗なる一族」でのあの小憎らしくて妖艶な家庭教師高須相子の好演が光っているが、仙台出身ということもあり、年齢も近く、仙台に住んでいたこともあり、それらも観るようになった一因だろう。話がそれるがキムタク版「華麗なる一族」では、鈴木京香北大路欣也が素晴らしい。
閑話休題NHK朝の連続テレビ小説版「君の名は」はけっこう熱心に観ており、面白かったように憶えている。ただ、前半なかなか二人が会えない「すれ違い」にイライラしながら引っぱられ観ていた記憶はあっても、後半二人がどうなったかの記憶が抜けている。ドラマ自体は次第に視聴率が低迷していったというから、わたしも最初だけ熱心に観ていたのかもしれない。
三部構成の映画を観てみると、あれほど苛立たされた「すれ違い」も、映画では2時間ある第一部のなかばあたり、真知子(岸恵子)と春樹(佐田啓二)は数寄屋橋上で再会を果たしてしまう。すれ違いを繰り返しなかなか会えない脂っこさを期待していると、意外にあっさりめなのだ。
大空襲のとき行動を共にした互いの名も知らぬ男女。名前も聞かぬまま数寄屋橋で別れるが(佐田啓二が名前を訊ねようとしたらまた警報サイレンが鳴ってしまい、そのまま別れてしまったのだ)、半年後同じ場所での再会を誓う。この間お互いを想う気持ちが強まる二人。半年後真知子はやって来ず、ようやく出会うことができたのは一年後だった。ところがそのとき真知子は別の男と結婚を決意し、それを告げに来たのだった。
春樹を捜す真知子を積極的に助けようとする無私の精神に真知子がほだされ、結婚を決意した相手が浜口勝則(川喜多雄二)。「おいおい、お前はそれでいいのかよ」と突っ込みながら、川喜多の好青年ぶり、滅私奉公ぶりにイライラしていた。
ところが結婚後川喜多の母親(市川春代)と真知子がうまく行かず、また彼女が心の中から消し去っていない春樹の影に激しい嫉妬の炎を燃やしていくなかで、夫婦仲に亀裂が生じ、真知子は家を飛び出す。
これを追った春樹はようやく真知子へ「もう離さない」と愛の告白をするが、時すでに遅し、真知子は勝則の子供を身籠もっていたのであった…。うーん、ドラマチック。ところがここで春樹はどうしたものか「あなたは家に戻ったほうがいいのかもしれません」と突き放してしまう。
ええーっ。引いちゃうのかよ。せっかく自殺寸前まで行った真知子を追いかけてきて、ようやく一緒になろうという告白までしたというのに。子供を身籠もったという話を聞いた途端二の足を踏んでしまう春樹の姿勢に激しく突っ込みを入れる。倫理観が強い時代だったと社会のせいにしていいのかどうか。
好青年が一転して陰険で嫉妬メラメラの男に転じる川喜多雄二の悪役ぶりがいい。最後は改心するものの、よくぞこんな悪役を引き受けたものだ。悪役と言えば川喜多の母親で真知子をいじめる姑の市川春代も憎たらしさ満点。
ようやく真知子との離縁を決意した勝則に、政治家の娘紙京子との縁談が舞い込む。ところが紙京子は、結婚の条件として姑との別居をあげたため、市川春代は「真知子さんはそんなことは言わなかった…」と激しく落胆して家を出、九州島原にいる真知子のもとに飛び込む。旅行の無理がたたり病床に伏す市川を真知子は熱心に看病、その姿に市川はかつての悪行を悔い、真知子に謝る。うーむ、これは歌舞伎で言う「戻り」ではないか。悪役が最後死ぬ間際善人になる芝居。
原作者菊田一夫の背景にどのような土台があるのかわからないけれど、こんなシーンを観ていると歌舞伎の骨法が根底にあるのではないか。また松竹らしいと言えばそうとも言える。
自分を「オレ」と呼び、春樹を愛して自殺する粗野なアイヌの娘に北原三枝。傷心の春樹は友人のいる北海道美幌で暮らすのだが、それが第二部の主な舞台。アイヌはこんな未開民族のような粗野な雰囲気にしてしまっていいのだろうかと思わないでもない。
空襲で見知らぬ男女が命からがら一緒に逃げのび、半年後の再会を誓う。多くの人の命を奪った空襲という惨事にこんな甘いロマンティシズムを絡めることに対し、苦い顔をする人がいるかもしれない。
でもこの物語は映画にさきがけ1952年にラジオで熱狂的ブームを起こし、その時間帯は銭湯から人がいなくなったと言われたほどで、また映画でも岸恵子のショールの巻き方を真似た「真知子巻き」が大流行したほど、大衆に受けたのである。その大衆のほとんどは空襲体験を共有した人びとだろう。
そういう人びとが、敗戦後10年も経たずまだ生々しく脳裏に残っているはずの忌まわしい記憶のなかに織り込まれた純愛フィクションに熱狂したのである。空襲の悲惨な記憶、そんな状況のなかにこうしたロマンティックな男女の出会いがひとつくらいあってもいいのではないか、そんな希望というか、記憶を相対化しこれを受け入れようとする指向性がこの時期の人びとに共有されていたのではないか。
戦後の混乱で娼婦まで身をやつしていた春樹の姉月丘夢路を、元陸軍少将笠智衆と真知子の親友淡島千景が助ける。笠はやはりパンパンだった小林トシ子と野添ひとみ(可愛い!)を助け果物屋を開業させるが、軍時代の知り合いで店の後援者である日守新一はその果物屋に身を寄せていた月丘夢路を見初め、結婚を申し込む。
笠が日守に、月丘には人に言えない過去があると言うと、戦後の混乱期には何をしてでも生きてゆかなければならなかった、日守は自分にも似たようなことがあるとして、「お互いの過去を知ろうとしないのがこの時代の礼儀なのかもしれませんね」と、すべてを許し彼女を受け入れる。敗戦8年後のドラマとしてこの言葉は重い。三部作中もっとも心に沁みた台詞だった。
ちなみにNHK朝の連続テレビ小説では、春樹が倉田てつを、勝則に布施博、姑に加藤治子淡島千景の役にいしだあゆみだった。いしだあゆみは何となく記憶にあるけれど、布施博加藤治子はほとんど憶えていない。