戦争体験を経た日常性について

私の履歴書―第三の新人

日経ビジネス人文庫私の履歴書第三の新人*1を読み終えた。本シリーズを読むのは、先に刊行された『私の履歴書―中間小説の黄金時代』(→2006/11/18条)に次いで2冊目。先のものには井伏鱒二舟橋聖一井上靖水上勉の四人の文章が収められていたが、今回は「第三の新人」でくくられる安岡章太郎阿川弘之庄野潤三遠藤周作四人が収められている。前冊同様解説は坪内祐三さん。
このあたりの文壇事情はよくわからないのだけれど、「第三の新人」と呼ばれた彼らは相互に深い交友関係にあったせいか、それぞれの文章のなかに他の三人の名前がよく出てくる。
今回四人の文章を読んで気になったのは、それぞれの戦争(従軍)体験だった。安岡さんの場合父親が陸軍軍人だったから、居住地についても軍隊との関わりが深い。逆に自身の軍隊経験について触れた部分はこの文章には少なく、その部分はひとっ飛びにして戦後へと筆が移っている。たぶんほかの著作に詳しく書いてあるのだろう。
わずかに記してある箇所を拾えば、安岡さんは軍隊で胸膜炎に罹り、南満州の療養所に半年ほどいて、内地送還になったという。終戦一ヶ月前に現役免除となる。
次の阿川弘之さんは言うまでもなく海軍。阿川さんはこの「私の履歴書」では、単純な半自伝を書くのではなく、「わが食と言葉の履歴書」というテーマに絞って思い出を綴っているため、海軍体験はそうしたテーマとの関わりで触れられている。海軍での食事や、配属された特務班での中国暗号の解読についての思い出が語られる。
庄野さんも海軍。フィリピン航空隊への配置が決まったが、制海権を握られていたため勤務地に行くことができず、終戦まで伊豆半島の海岸で米軍上陸に備えた砲台建設に従事していたという。
遠藤周作さんの場合、徴兵検査を受ける前に風邪をこじらせ肋膜炎になったため第二乙種となり入営が一年延期、軍需工場で働いていよいよ入営というときに終戦を迎えた。
このようにそれぞれ戦争との関わりは四者四様。この文章だけから伝わるものではないのだろうが、人生のなかで戦争というものが与えた影響は甚大なものがあったに違いない。そんなことを考えながら、ひととおり読み終えて坪内さんの解説に目を通した。さすがに坪内さん、この四人の文壇的位置づけや相互の関係を示す挿話・秘話などを引用しながら、彼ら「第三の新人」が文壇で活躍する背後事情を過不足なく的確に説明してくれている。
第三の新人」は「その日常性、政治的意識の低さを批判された」と当時の状況を説明したうえで、彼らの世代(大正九年・十年)は戦争による戦死者がもっとも多い世代だと書き、最後こう締めくくっている。

彼らが選びとったのは、そういう戦争体験を経た上での日常性だったのである。だからこそ彼らの描く日常性は特別の重みを持っているのだ。
たとえば(わたしを含め)庄野潤三作品で描かれる「日常性」に惹かれるファンは多い。政治に関わらない、ひたすら穏やかな小市民的生活を描く作品世界。しかしその奥底には決して語られない戦争体験という厚い層があって、その上に立って「日常性」の強い作品が書かれていることを鋭く指摘する。
いまの時代、ふつうに彼らの作品に接していただけではなかなか気づかれない歴史の重みについて、本書『私の履歴書』を読むと意識させられるわけだが、そうした意識を覚醒させ、それをきっかけにあれこれと考えを及ぼさせてくれる見事な解説と相まって、本書はすみずみまで読書の愉しみ味わえる一冊となっている。