一本で元を取る

名匠・吉村公三郎の世界

「銀座の女」(1955年、日活)
監督吉村公三郎/脚本新藤兼人・高橋二三/轟夕起子乙羽信子藤間紫/日高澄子/島田文子/南寿美子/長谷部健/北原三枝/田中筆子/殿山泰司/安部徹/金子信雄清水将夫/三津田健/飯田蝶子多々良純近藤宏宍戸錠

銀座にある芸者置屋の女将(轟夕起子)を中心に、そこに抱えられている芸者や同見習の女性たち(藤間紫乙羽信子・南寿美子・島田文子・田中筆子)を描いた群像劇。
芸者置屋の物語と言えば成瀬巳喜男監督の「流れる」を思い出す。「銀座の女」はユーモアたっぷりな話で、「流れる」のパロディのようだと感じたが、帰宅後調べてみると「流れる」の一年前に制作された作品でこちらのほうが早い。
老後生活の不安を抱え、将来面倒を見てもらうことを条件に有望な青年に学費を出して養子にしようとしている轟夕起子。こういう年増がかった女性の役どころ(市川崑監督「青春怪談」を思い出す)は実に素晴らしい。あとで年齢設定が38歳だと知って驚いたが。
轟が学資を出してあげているのが長谷部健。長谷部が通っているのが東京工業大学。正門から本館のあたりが映る*1。大学を出たところで宍戸錠(このシーンだけの出演)につかまり、金を無心される。宍戸錠は轟が「パパ」と呼ぶ旦那の政治家清水将夫の息子で、清水から轟がもらっている金が長谷部に流れているのだから、それを清水の息子である自分が使ってもいいはずだという屁理屈をこね、長谷部から金を借りる。
長谷部はこれで轟に援助してもらっていることに嫌気がさしたのか、轟と縁を切って学校をやめ、小説家を志そうとする。同時に清水将夫も轟に別れを切り出す。荒れる轟。
このあと、轟の置屋で昔芸者をやっていて、その後独立してバーのマダムとなった日高澄子が絡む三角関係が展開されるのだが、長くなるので触れない。そのバーで働くのが北原三枝
将来に絶望した轟は家に火をつけたくなると荒れるが、その後本当に置屋から出火し、放火だと判明する。ここから面白い。放火犯人だと轟・乙羽・島田(福島から出てきた見習)三人が名乗り出る始末。轟は自棄になって、乙羽は有名になれるから、島田は轟・乙羽を釈放させるための身代わりとして名乗り出てくるのである。乙羽さん演じる脳天気なほど快活な芸者、これまたぴったり。
火元の置屋から三人の女性が犯人の名乗りをあげ困ったのが警察署。その署長が「電話は夕方に鳴る」と同じく殿山泰司(部下に安部徹)。『Yの悲劇』やミッキー・スピレインを読んでいるあたりが憎い。「電話は夕方に鳴る」のダメ署長から一転、こちらでは放火犯人を鮮やかに指摘する。ミステリ風味があって、殿山泰司が名推理を披露するという意外性もあり愉しめる。
福島の貧しい酪農農家に育ち、乳牛一頭を飼うため東京の置屋に売られた悲しい境遇の島田文子は、胸を病み銀座から離れた月島の診療所(医師が金子信雄)にひそかにやってくる。勝鬨橋が跳ね上がるシーンが挟まれ、診療所は隅田川に面している。銀幕の東京。
映画の冒頭、一人の老女(飯田蝶子)が、現在もある老人養護施設の浴風会*2に入る場面で始まる。子どもたちの余興のお返しに、飯田蝶子は昔取った杵柄とばかり三味線で「梅は咲いたか〜」と小唄を唄う。
このシーン実はニュース映画の一齣で、飯田蝶子轟夕起子がかつて最初に芸者として勤めた置屋の女将だった。新聞記者多々良純やカメラマン近藤宏らに連れられ「水爆映画」(!)を観に行ったらこのニュース映画を偶然観て、自らの将来を憂え暗然となるという前ふりになっているのである。
子供と別居し、宝くじを買って100万円当てることを夢見る藤間紫や、買物に行った帰りにさぼってパチンコに熱中する置屋の女中田中筆子など、脇役まで適役揃いで堪能した。日活アクションや裕次郎映画もいいのだが、裕次郎登場以前の日活作品にはこうした佳品が多く観甲斐がある。そういう作品のなかで北原三枝はいつもボーイッシュで活発な少女といった役柄だ。
二本立てなので本当はもう一本岡田茉莉子主演の「女の坂」があったのだが、体力的に辛かったことと、「銀座の女」ですっきり気分が晴れやかになり元を取った気分になったので、もったいなかったが一本だけでよした。

*1:昭和9年築。http://maskweb.jp/b_titech_1_1.html

*2:大正15年築の本館を設計したのは東大と同じ内田祥三なので、スクラッチタイルの趣きある風情。http://maskweb.jp/b_yokufuukai_1_1.html