「黒い潮」と『下山事件』

下山事件

「黒い潮」を観たことで、また下山事件への関心が沸きあがってきた。阿佐ヶ谷から帰宅した後、買ってそのままになっていた森達也さんの下山事件シモヤマ・ケース*1新潮文庫)を積ん読の山から探し出し、読み始める。
いま「また」と書いたことについて、「実は…」と自分の下山事件への関心をあらたまって説明するほど深い関心を寄せていたわけではないのだけれど、下山事件は昔から関心がないではなかった。もとより事件発生現場が毎日電車で通る場所であることを知ったのは東京に住んでからのことである。
わたしの場合、下山事件と聞いて思い出すのは小林桂樹さんなのだ。小林桂樹さんが下山総裁を演じたNHKドラマの記憶がいまなお鮮烈で、それに加え轢死という凄惨な状況と、自殺説・他殺説が入り乱れ結局うやむやのまま迷宮入りしてしまったという謎めいた顛末が、いたくミステリ好きの心をくすぐったとおぼしい。
いま調べてみると*2、このドラマは土曜ドラマ戦後史実録シリーズ「空白の900分―国鉄総裁怪死事件―(前・後編)」というタイトルで、1980年に放映されている。1980年は小学校から中学校に入学する年にあたる。たぶん自ら積極的に観たのではなく、親が観ていたところに一緒にいたのだろう。記憶というものはえてしてこんな状況のときに強く残る。
もう一つ、松本清張の有名な「謀略史観」が展開された『日本の黒い霧』での下山事件追及を思い出す。『日本の黒い霧』を読んだのはいつだったか、まったく憶えていない。中学生の頃か、高校に入ってからか。いずれにせよ、テレビで小林桂樹演じる下山総裁がきっかけで下山事件への関心が芽生えた少年が、松本清張のノンフィクションへ進んだという順番だろう。
読んだ時期こそ記憶にないものの、松本清張が事件の背後にあると指摘した米軍との関係や敗戦直後の日本の社会背景の説明が何が何だかさっぱりわからなかったということだけは強い印象に残っている。
GHQ、G2、GS、共産党労働組合右派・左派、キャノン機関、右翼…。敗戦を契機に一直線に平和主義民主化路線を突き進んだと思い込んでいる頭に、占領時における混乱した世相の下で蠢いたこれら組織の錯綜した関係は理解しがたかった。なぜ自殺説が封じ込められ、なぜアメリカがやらなければならなかったのか、そのあたりの事情がまったくと言っていいほど理解できなかった。
今回、下山事件を自殺説の立場から追いかけた新聞記者たちを描いた「黒い潮」を観、また森さんの『下山事件』を読んだことで、そのときのちんぷんかんぷんな気持ちがよみがえってくるいっぽう、ようやく少し理解できるようになってきたことを喜んだ。それでもなお胸のつかえがおりたと言えるほどすっきりしたわけではない。
そもそも森さんの『下山事件』は、単行本が出た時から気にはなっていた。前述のようにもとから関心があったことに加え事件発生現場に近いところに偶然住むようになったことで、眠っていた下山事件への興味が再燃したからだった。ただ結局購入したのは文庫に入った昨年11月だったが。購入直後に読もうとしたのだけれど、それには至らなかった。結果的に「黒い潮」を観たあと読むというのは、読書のタイミングとして機を得たものと言える。
読んでみて意外というか新鮮だったのは、本書は下山事件の謎解きを主眼に据えたものではないということだった。謎を解明する本だとばかり思って買ったからだ。むろん謎解きがまったくないというものではない。でもあくまで叙述の視点は謎の解明を進める人物(イコール著者本人だが)の外側に据えられている。
要するに下山事件にさしたる関心を持ってこなかった著者がいかにして下山事件に深入りし(文中の言葉でいえば「下山病」に罹り)、調査を進め、挫折していったのかというドキュメンタリーになっているのである。
下山事件に強い関心を抱くに至った著者が、そのテーマでテレビ番組を制作しようと企図したり、また雑誌連載を前提に雑誌記者らと取材を進め、しかもその過程を自主制作の映画にしようとするといった経緯が、謎解きを大きく包み込む枠組みとして存在する。
だから本書の面白さは、たんなる謎解きだけでなく、取材過程での関係者との生々しいやりとりや、関係者との付き合いを通して芽生えた人間的興味、またテレビや雑誌の世界におけるしがらみ、組織と個人の対立、調査結果の公表をめぐる著者と記者、情報提供者との間の感情的対立、また家族を食わせていかなければならないフリーのディレクターとしての苦しみなどがリアルに描かれている点にある。
「黒い潮」で自殺説に固執する記者たちに感情移入してしまったせいか(映画の冒頭では総裁が汽車に飛び込む場面がきちんと挿入されている)、下山事件が他殺の方向で間違いないという結論にはなぜか落胆を憶えたが、映画と本によって、下山事件から三鷹事件松川事件へと連鎖する混乱した戦後社会の世相をあらためて知ることができたことや、戦後政界の裏側を支配する右翼大物の存在を知り得たことは収穫だった。
映画「華麗なる一族」で印象的だった佐々木孝丸の「鎌倉の男」のモデルとなったのは、大物右翼田中清玄だと教わった(→2006/1/19条)。本書にはその田中清玄も登場しており、「華麗なる一族」の「鎌倉の男」がリアリティをもって立ちのぼってきたのである。

*1:ISBN:4101300712

*2:wikiペディア「下山事件」項参照。