第87 台地の実感

菊川の煉瓦倉庫

この週末、ある集まりに参加するため静岡県は菊川という町を訪れた。東海道線に菊川という駅がある。静岡から40分、焼津・藤枝を過ぎ、掛川のひとつ手前だ。もとは菊川町、一昨年の〝大合併〟により、隣接する小笠郡小笠町と合併して菊川市となった。人口5万弱。菊川駅は昭和31年まで「堀之内」という名前だった。
静岡という県は関西方面に出かけるときに通り過ぎるだけで、降り立ったことと言えば、いまから15年以上前、大学時代の友人の結婚式に出席するため三島を訪れたこと以外思い出せない。静岡は旧国名にすると伊豆・駿河遠江から成っている。三島は伊豆だから、遠江に降り立つのは初めてのこととなる。
初めてということもあり、集合時間の1時間30分ほど前に駅に着き、町中をぶらぶら歩いてみることにした。天の邪鬼な性格は、職業柄という行動を吹き飛ばすほど強いもので、いわゆる史跡や遺跡を精力的に見て回ることが苦手である。ただぶらぶら駅前に広がる町を歩き、その町の雰囲気を楽しむだけでいい。
あいにく菊川駅前は土地区画整理事業の真っ最中で、住宅地開発のため更地になっている土地が多く、ましてや駅前に大きなビルがあるわけでもないので、茫漠とした感じだった。駅から真っ直ぐ南に延びる繁華街の通りは、駅付近こそ小綺麗に整備されつつあるけれど、賑わいからはほど遠い。さらに奥へと足を伸ばすと、旧道沿いとも言うべき、昔ながらの繁華街の残滓のような商店街が続いており、むしろこちらのほうがわたしの好みである。
この通りの途中に赤煉瓦の建物を見つけた(写真)。立て看板を見ると、明治中期に「堀之内駅」ができ、駅周辺に商人が移り住むようになって、ここにお茶工場が作られ、周辺各地で栽培されたお茶の葉が集積されたのだという。煉瓦造建物は、そのお茶の保存用倉庫として建てられたとのこと。大正時代には薬屋の倉庫になったそうだが、この町に古くからある建物はこれだけになってしまったという。ここをさまざまなイベントで活用し、保存していきましょうという呼びかけが書かれてあった。
静岡といえばお茶と蜜柑。新幹線に乗っていても茶畑や蜜柑の木が目につくが、実際降りたってあちこち回っていると、とりわけ遠江地域における茶畑の広がりに圧倒される。平地だけでなく、山の斜面もすべて茶畑で、背が低く綺麗にロールケーキ状(?)に剪定された特徴的なかたちをしているお茶の木が、真横に幾重にも連なっている光景は壮観だった。
東北生まれのわたしとしては、田んぼがあるべき土地がそのまま茶畑になっていると考えればいいのだなと理解した。水田がまったくないわけではないが、それはごくわずかで、ほとんど茶畑なのには驚かされた。水田が平地の景観というのはにわかに想定しがたい。
ついでに言えば、わたしは山形という周りを高い山に囲まれた盆地で育った。だから大学で仙台に出てきたとき、山に囲まれていない場所にいることに居心地の悪さを感じたのだった。仙台といってもすぐ西は奥羽山脈だから、山と無縁ではないけれども、東側は仙台平野が広がって高い山がない。
平野に住んでみて、盆地育ちの人間には山に囲まれることで生まれる安心感があるということを知ったのである。蔵王と月山に囲まれた風景は、いま思い出しても懐かしく、郷里に帰って蔵王と月山を確認するだけで落ち着く。
盆地と平野、いま住んでいる東京も、凸凹しているけれどまあ関東平野ということだろう。今回静岡の菊川、牧之原あたりを訪れて実感したのは、「台地」という場所だった。平野からは高所にあって、その上の部分が平坦になっている土地。東京だっていくつもの台地が平野にせり出しているわけだが、低地に高層ビルが建っているおかげで、残念ながら台地にいるという実感はない。
だから「牧ノ原台地」は新鮮だった。まわりに小高い丘が連なる程度の平坦な土地に、ふつうに町がつくられ、静岡らしく茶畑が広がる。しかししばらく車に乗っていると、突然見晴らしのいい場所に出る。断崖のような台地のへりにあたる。下には同じような町が川(大井川)沿いに広がっているのだ。
山道を登れば山しかないというあたりまえの認識しか持っていなかった人間にとって、山道を登った先に平坦にして広大な土地があって、そこにも町が広がっているというもうひとつの常識を突然突きつけられたのだった。
眼下に広がる低地の集落を見せられると、いま通ってきた平坦な場所にも同じような集落があったことが信じられなくなってくる。いままでの常識では後ろは山のはずだから。台地とは、台地を知らない人間にとって、かくも奇妙な感覚を与えるものなのである。
この台地のへりから見る平地の夜景はきっと綺麗なのだろうし、台地から見上げる星空も素晴らしいに違いない。あの台地のうえからじっくり星空を眺めてみたい、そんな憧れを抱きつつ、静岡をあとにした。