俳優座三人男

「十代の性典」(大映、1953年)
監督島耕二/脚本須崎勝弥・赤坂長義/若尾文子南田洋子/沢村晶子/小田切みき津村悠子/長谷部健/千田是也/小沢栄/東野英治郎/見明凡太朗

衛星劇場若尾文子出演映画特集「メモリーズ・オブ・若尾文子」は今月でPart20を数えるから、Part7として放映された本作品をハードディスクに録ってから一年以上経過してしまっている。録ったはいいものの、積極的に観たいという気持ちにならず、さりとて観ないまま消去するのも惜しい。そんな微妙な立場にあった作品だった。
重い腰をあげていよいよ観ようという気になったのは、週末の静岡行で携えた本、小澤僥謳さんの『火宅の人 俳優小澤栄太郎』*1角川書店)がきっかけである。同書巻末にまとめられている小沢栄太郎のフィルモグラフィを漫然と眺めていたら、1953年(昭和28)の項にこの映画があがっており、共演者に千田是也東野英治郎という俳優座創立メンバーの名前も見つけた。
「十代の性典」と言えば、詳しくは知らないが、この映画により「性典」という言葉が流行語になり、続篇や多少エロがかった類似作品が作られブームになったはずである。出演女優の一人若尾文子は「性典女優」というありがたくない名前を頂戴し、後年インタビューなどでこの映画の話題を出されると不機嫌になるという逸話があるという話を読んだことがある*2
そんな作品に小沢栄太郎千田是也東野英治郎という俳優座を代表する三名優が出ていることに動かされ、観ることとなった次第。「性典」という言葉が当時の社会にセンセーショナルな話題を巻き起こしたというから、どんなものだろうという関心もないわけではなかったけれど、観てみると「なあんだ、こんな程度か」といった感じ。
たしかに冒頭高校での保健体育の授業風景から始まり、女性の出産(さすがに「産む機械」とは言っていないが、中味はそれに近い)について女性の先生が女子生徒にあれこれ話している。生徒の一人南田洋子が生理のため体育の授業を休み、グランドの外で見学していると、怪我で休んだ男子からからかわれたりする。処女やら何やら、青春映画の一齣にありがちな言葉が飛び交う。性的と言えばこの程度にすぎない。当時においてもさほど刺激的とは言えないのではないか。むしろタイトルにある「性典」という言葉だけ突出していたのではないかと推測する。
映画は大きく前半後半に分けられる。前半の主人公が南田洋子。彼女の家は貧しく、高架近くの長屋住まい。電気代も滞っている。徴収人に電気を止めると言われると、娘の試験が終わるまで待ってくれと頼む始末。父親が東野英治郎で、夜も工場に出て働いている。
ちびて短く、両側を削って使っている鉛筆が象徴的な貧しい南田は、つい出来心で裕福なお嬢様であるクラスメイト若尾文子の財布を体育授業の留守中に盗もうとしたり、道端に落ちていた現金入り封筒を懐に入れようとしたりする。親父の東野英治郎にまで疑われ、家を飛び出した彼女は、偶然中学時代の友人で、高校に行かず魚屋をしている小田切みきと出会い、彼女の周旋で居酒屋に奉公することになる。ここまでが前半。暗い南田洋子と、明るい小田切みきが対照的。
後半のメインは、長谷部健と沢村晶子のプラトニックな恋愛劇に、多少あばずれめいた津村悠子が三角関係的に絡むというもの。沢村晶子は若尾らの上級生で、若尾は彼女を「お姉さん」と呼び慕い、手をつないで一緒に帰るという仲。
沢村の家は教会で(「性典」というのはこれに由来か。だとすれば冒涜ではある)、彼女は敬虔なクリスチャン、父が神父の千田是也。恋人長谷部健を好きなのだけれど、彼がキスしようとしたりすると「結婚前は駄目」と拒否する。スケートをするため遊びに出かけ、泊まったロッジで長谷部から強引に迫られるがこれも拒否、下着姿のまま雪山に飛び出し、そのまま亡くなってしまう。
敬虔な沢村晶子と対照的に、奔放な美学生が津村悠子。男子の同級生といつも遊び歩き、彼らの前で服を脱いで絵のモデルになるほど開放的。彼女の父親が小沢栄太郎だった。鉱山経営者らしく、若尾文子ほどではないが、まあまあ裕福なお嬢さんという設定だ。
つまるところ俳優座の三人はそれぞれ環境が異なる家庭の父親役だった。貧乏東野英治郎、敬虔千田是也、成金小沢栄太郎といったところか。やはりこれはそれぞれのキャラクターなのだろうか。前記『火宅の人 俳優小澤栄太郎』を読むと、俳優座は自前の劇場建設のため、ちょうどこの1953年は小公演のみにとどめ、座員は資金集めのため「アルバイト」と称しておびただしい映画に出演しまくった時期だという。そんな背景を知って映画を観ると、また違った印象ももつ。
結局若尾文子はこの映画では脇役に過ぎない。学校は上野近辺、彼女の家は西片にあるという設定らしい。不忍池(弁天堂のある島から東側の上野のお山に向って池に懸けられた天龍橋が登場)や池之端*3、上野の東照宮五重塔などでロケされ、また若尾文子が家を出て歩いた先に、またもや本郷と西片を結ぶ「から橋(空橋)」が登場した。ひょっとして…とピンと来たらまさしく正解。前にも書いたことの繰り返しになるが、から橋はつくづくフォトジェニックなスポットだと見える。空橋の下を通る道路へと下りる階段に若尾文子がたたずんでいる。
心覚えのためこれまで空橋が登場した映画をあげれば、「足摺岬」(1954年)、「親馬鹿大将」(1948年)とこの「十代の性典」(1953年)。多いと言ってもたかだか3作品に過ぎないか。今後ももっともっと事例を集めよう。
いまひとつ気になった点がある。登場人物たちが話すと、喋るごとに白い息が映ること。屋内の設定でも息が白い。まあ当時は屋内でもいまより寒かったかもしれないが、息が白いほど寒かったのか。調べてみるとこの映画は2月公開、撮影が真冬に行なわれたためなのだろうか。寒いのを我慢して…などと、俳優座三名優の苦労が忍ばれるのである。

*1:ISBN:4048834436

*2:でも先日三読した川本三郎さんの『君美わしく』(文春文庫)では、この映画の名前が出たけれどとくに波乱は起こっていない。

*3:長谷部・沢村の恋人二人は、池之端を通るバスに乗るのだが、バスには「小田急」とある。小田急のバスは当時池之端を路線に含んでいたのかしらん?