戯曲の行間

ハムレット役者

丸谷才一さんが芥川比呂志のエッセイを選りすぐって編んだハムレット役者 芥川比呂志エッセイ選』*1講談社文芸文庫)を読み終えた。
以前仙台の古本市で入手した『芥川比呂志エッセイ選集 全一巻』*2(新潮社、→2004/8/11条)も丸谷さんが編集に加わっていた。函入りで贅沢な雰囲気のあの本は、買った当初嬉しくて何度も開いていたものだが、いつしか積ん読の山に埋もれ、忘れかけていた。よってこの文庫版を買い、じっくり腰を据えて芥川比呂志のエッセイを読むことにする。
本書は四つのパートに分かれている。演劇論を集めた「ハムレット役者」、先祖や父母のことを書いた「先祖のことなど」「父と母」、生い立ちから青春時代、文学座での仲間との交流、病気療養中の随想などを収めた「自伝の材料」。もっとも、これらの境界は明瞭でなく、「自伝の材料」にも演劇の本質をついた文章などがあるし、そもそも彼のエッセイは芝居に満たされているのだから便宜的な区分けにすぎない。それにしても「自伝の材料」というタイトルはいかにも丸谷さんらしいネーミングである。
芥川比呂志の文章は、なんというのだろう、その場の情景が目に浮かぶような、すぐれて実感的な雰囲気がある。その場の空気だけでなく、人と人との間にある結びつきのような見えない事柄までも、的確に言葉を選んで、読む者にストレートに伝わってくる文章だ。
芥川龍之介の命日に催される「河童忌」については、つとに親友内田百間のエッセイで知られているけれど、息子の目から見た「河童忌」の情景がまた面白い。そこに集う一人一人をさらりとスケッチしているのだが、自分がそこに居合わせているかのような感覚にとらわれる。

 葭戸が入っている。縁側はない。広い庭の奥の方に、紫陽花が咲いている。花の数は、年毎に変る。
 その庭を背に、宇野浩二さん。
 お隣りはいつも、佐藤春夫さん。
 口髭の宇野さんも、鼻眼鏡の佐藤さんも、あまり口をおききにならない。たまに、低い声で、お二人で話をなさるが、到底聴きとれない。
 ふいにぱんと掌を打つ大きな音がする。みなびっくりしてそちらを見ると、白麻のセビロを着て正座した内田百間さんが空をにらんでいる。
 ――しまった。
 蚊を叩き損ねたのだ。(89頁、太字は原文傍点)
おとなしい二人の描写のあと不意にとどろく物音。蚊を叩き損ね憮然とした百鬼園先生の顔が浮かんでくるようである。
思わず付箋をつけたのは、少年の頃観たエノケンについて、「倒れる藝の名人」と喝破した回想記「私の浅草」、文学座の地方巡業の光景をユーモアたっぷりに描き、おしまいのオチも見事な短文「劇団の旅」など。
本書の一番最後には、役者として戯曲のテキストをいかに読んでいるかを、自らの例をあげながら論じた「戯曲を読む」という一篇が配されている。その最後のパラブラフこそ芥川比呂志の演劇論の粋だろうと感じる。丸谷さんがこれを最後にもってきたのは、そういう意図があったに違いない。
ある人物の「ありがとう」というせりふに、相手のせりふがつづき、さらに元の人物のせりふがつづきます。せりふは行を追って書かれ、行と行との間は空白です。しかし、生きた人間の対話には、行間というようなものはありません。あなたはしゃべっているときも黙っているときもあなたであり、私も同様です。あなたという存在も、私という存在も、それぞれ同時に持続しているわけで、下手なネオンサインのように交互に現われたり消えたりしているわけではありません。せりふの行間を読め、といわれるのは、語られる言葉にともなう感情や意識や身振りや表情をつかめということであり、そういうものを支えている、あなたなり私なりの、存在の独自性をつかめということなのです。(312-13頁、太字は原文傍点)
これは役者として観客に対する注文でもあるのだなと読めた。せりふの行間にも注意して芝居を観てほしいと言うわけだ。果たして巻末に収められた丸谷才一さんとの対談で、渡辺保さんはこの一篇について、「役者はみんな読むべき」「観客も読むべき」と言い、近年の観客の質の下落を嘆きつつ「ただのエッセイとして読み流さないでむしろあそこをいちばん最初に読んでもらいたい」と力説する。
文章の中味だけでなく、アンソロジーとしての配列の妙、そして巻末の解説対談。隅々まで配慮が行き届き、書物としての魅力が備わっている一冊である。
心覚えのために、これまで観た芥川比呂志出演の映画をまとめておく。

やはり高峰秀子と共演した「雁」「煙突の見える場所」が印象に残る。こうしてまとてみるとすべて2004年に観た映画であることに気づく。『芥川比呂志エッセイ選集』を手に入れたのも同じ年のこと。してみれば2004年という年はわたしにとって“芥川比呂志イヤー”であったか。
蛇足ながら、読後漫然と年譜を眺めていたら、彼は昭和12年、17歳で4歳上の女性(この年譜の編者瑠璃子夫人)と結婚していることを知った。18歳で長女をもうけている。旧民法の婚姻最低年齢は満17歳だったそうだから、クリアしてすぐ結婚したわけだ。日取りが12月24日となっているのは、クリスマス・イブと関係あるのかしらん。