屋上スポーツ時代

「ニッポン無責任時代」(1962年、東宝
監督古沢憲吾/脚本田波靖男松木ひろし植木等ハナ肇谷啓安田伸犬塚弘石橋エータロー/団玲子/重山規子/久慈あさみ/中島そのみ/由利徹松村達雄田崎潤

青島幸男さんが亡くなったとき、生前の仕事として取り上げられたのは、一に都知事、二に国会議員、三に放送作家、四に「意地悪ばあさん」といった順番だろうか。放送作家としての仕事については、わたしは「シャボン玉ホリデー」を同時代に観ていない(72年まで放送していたらしいが、まったく記憶にない)ので、後年再放送や特番などで流された一場面などでしか知らない。ニッポン無責任時代 [DVD]
青島さんが亡くなったときにも「シャボン玉ホリデー」の一場面が流れていたし、また、クレージー・キャッツ、いや植木等「無責任男」の映画の一場面が取り上げられていた。植木さんの「無責任男」はこのように、部分的に流される映画の一場面や歌の一部分でだいたいの雰囲気を知るのみだった。
たまたまその人気を爆発させるきっかけとなった第一作「ニッポン無責任時代」が放映されたので、あの時代の雰囲気のなかで「無責任男」がどう生まれてきたのか、知るために観ることにした。
小林信彦さんは『日本の喜劇人』*1新潮文庫)のなかで、この映画を「ストーリーだけみれば、(…)東宝十八番のサラリーマン映画の末流にすぎない」と断じる(171頁)。たしかに筋を貫いているのは失業や再就職、課長や部長への昇進競争、会社乗っ取りといういかにもサラリーマン映画的主題である。サラリーマン映画という側面でみれば、まだ先日観た松竹の「月給13,000円」のほうが面白い。
それでもなお光彩を放っているのが無責任男平均(たいら・ひとし)なのだろう。平均という名前が人を喰っている。青島さんが作詞した主題歌「無責任一代男」では、「人生で大事なことは/タイミングにC調に無責任」とあるのには笑った。タイミングというのは言い得て妙だ。まったく人生にタイミングは重要である。
臆面もなく堂々と「これぞ」と思った企業に乗り込み、要領よく社員として居座る平均のC調と無責任を象徴する印象的な場面は、昼休み屋上で遊んでいた同僚たちのバレーボールが、屋上に上がろうと階段にいた平均のところに転がると、そのまま建物の外、道路に投げ捨ててしまうところだろう。小林さんもここにも言及している。
「月給13,000円」を観たときにも感じたが、たとえば岡本喜八監督「江分利満氏の優雅な生活」をも思い出す。60年代の会社では、昼休み社員が屋上で休憩をとり、そこでコーラスの練習をしたり、バレーボールやキャッチボールに興じたりしている。いまでは屋上そのものが休憩の空間として機能していないのではあるまいか。たとえ機能していたとしても、みんなが集って遊ぶという行動は出てこないように思われる。
屋上に上がって外の景色を見ても、風光明媚ならいいが、まわりがビルばかりじゃ殺風景で面白くもなんともない。そもそも屋上という空間自体安全面から出ることが禁じられているところもあるだろうし、高層ビルなどは屋上で休むことすらできまい。60年代的風景ということだろうか。
小林さんはこの映画について、「このB級娯楽映画は、〈個人の幸福に関して何の責任ももたぬ体制にたいしては無責任な態度で居直るよりない〉というメッセージに(ことに前半が)みちみちていた」とする。たしかに前半の平均の「居直りよう」は爽快ですらある。
60年代は〈個人の幸福に関して何の責任ももたぬ体制にたいしては無責任な態度で居直るよりない〉というアンチ・テーゼが大衆に受け入れられた時代なのだろうか。むしろ現代こそ〈個人の幸福に関して何の責任ももたぬ体制〉が強化されているのではないか。これに人びとは無責任な態度で居直ろうとしない。無責任というガス抜きすらできないのが現代なのか。
まあそんな難しいことを考えるのはよそう。「とかくこの世は無責任」「こつこつやる奴ぁご苦労さん」と、平均のC調さにならって憂さ晴らしするほかないのである。バレーボールが目の前に転がってきたら、思いっきり変なところに投げ飛ばそう(いや、でも、わたしはそんな勇気はない…)。
ところでC調という言葉はいまでは死語なのか。『広辞苑』第四版にはなかった。もとよりわたしがこの言葉を知ったのは、多くの人の例に漏れずサザンオールスターズの「C調言葉に御用心」であって、まだ小学生だったから、その意味すらわからず唄っていた。その当時(1979年)ですらあまり聞き慣れない言葉だったのではないか。
この映画では、植木等が間借りしている家の奥さんが中北千枝子だった。なかなか家賃を払ってくれない植木さんとの掛け合いが軽快。成瀬作品の陰鬱な役回りばかりではないのだな。