住むことへの意識

集合住宅の時間

山形の実家に18年暮らしてから、仙台に12年と東京に9年。仙台と東京ではずっと集合住宅住まいである。集合住宅住まいの年数が一戸建て住まいのそれを上回ってしまった。
東京に住んでいるかぎり、一戸建て暮らしに戻ることは難しい。わたし自身一戸建てへの願望はそんなに強くないからこのままでもいいけれど、子供たちにとってみれば、生まれてからずっと集合住宅暮らしというのもいかがかと思わないでもない。という考えは、やはり一戸建てを優位に見ているということになるのだろうか。
いま一戸建てや集合住宅のような「箱」にいることを「住まい」「暮らし」と表現した。しかしながらこれまでの人生をふりかえってみて、「住まい」「暮らし」といった「住」を意識したことがあるかと問われれば、返答に窮してしまう。かならずしも意識的に「住」を愉しんだことはなく、ただただ「箱」のなかで時間を過ごしてきただけと言わざるをえないのである。わたしのような住意識の低い人間にとって、「箱」は一戸建てでも集合住宅でもどちらでも関係ないのである。
と、大月敏雄さんの新著『集合住宅の時間』*1(王国社)を読んでそう思った。著者の大月さんは東大の建築科を出て現在東京理科大学工学部建築学科で教鞭をとっている研究者で、専門は建築計画・住宅地計画だという。
本書は東京や横浜、大阪の大都市にある(あった)特徴的な集合住宅について、成立の経緯のような歴史から、建てられ方、さらにそこに住んでいる人びとの意識を追究しようとした興味深い本である。行間から、たんに建物の古さやモダンなデザインの特異さだけでなく、暮らすという人間固有の営みがにじみ出る。だから読んでいてわが身の住環境や歴史について省みずにはいられなくなるのだった。
集合住宅の本ではかならず取り上げられる同潤会アパートはもちろんのこと(大塚女子・清砂通り・江戸川・青山)、気になる存在だった銀座の奥野ビル、九段下の九段下ビル・竹平アパート、本郷の求道学舎に触れられている。知っている人には呆れられるかもしれないが、古い日本映画にときどき登場する「原宿アパートメンツ」(「アパートメント」ではない)が原宿駅前に現存することも初めて知った。
渋谷や目黒に「〜荘」という名前がぴったりのアパートがあって、それぞれ濃密な来歴があり、現在もその歴史が作られている途上にあることや、烏山に前川國男が設計した戸建て住宅地が広がっていることも知った。
著者の大月さんはみずから集合住宅暮らしを実践しており、その愉しげな様子は最後の第24章「困った時はお互い様マンション」で報告されている。同じ集合住宅に住む家庭同士親密な交流があり、まさしく“困った時はお互い様”で助け合う。心を開いて相手の懐に飛び込むようなふるまい方ができないわたしは、そんな大月さん家族の暮らしぶりに憧れつつも、反対にそのウェットさを敬遠してしまう意識もある。
とにかく興味深く知られざる集合住宅が次々登場するので、ページをめくる指が止まらず、あっという間に読み終えてしまった。そして、大月さんが同潤会アパートをめぐって記した次の一文に、一素人として深くうなずかざるをえなかった。

個人的な感想なのかもしれないが、平成十五年は、少なくとも東京における都市住宅史上、結構重要な年のような気がしている。平成十五年時点で、現存していた同潤会アパートは、十六ヶ所建設されたもののうち六ヶ所であった。そのうちの四ヶ所がその年に大きく動いたのだ。(64頁)
四ヶ所とは、上にも記した大塚女子・清砂通り・江戸川・青山のこと。清砂通りアパートを取り上げた第7章「謎解き解体調査」では、清砂通りアパートの解体に立ち会い、建設時に設けられていたという「独身室」がやはり存在し、それが戦後家族向けに作り直されていたことを明らかにするという面白いレポートがなされている。
さて、上に引用した文章について、研究者としての大月さんの「個人的な感想」にとどまらず、東京の「都市住宅史」に関心がある素人のわたしとしても、重要なターニング・ポイントとなる年であったと感じる。それぞれのアパートについて、自分の目で確認できたことを喜ばずにはいられない。逆に自分の目で確認できたからこそ、寂しさもひとしおなのだけれど(九段下の竹平アパートも含め)。
先日非常勤先での年末最後の授業を終えた気楽さに、クリスマスのイルミネーションで雰囲気も盛り上がっている表参道を明治神宮前まで歩いた。燈籠を思わせるやわらかな光のイルミネーションに気分も高揚し、初めて「表参道ヒルズ」の中に入ってみた。
地下に広がる空間を見下ろしながら、表参道が明治通りに向かってゆっくり下り坂になっている傾斜の感覚そのままに、ゆるやかなスロープ状に下ってゆく通路を歩いているうち、同潤会青山アパートがなくなっても、代わりにこんな空間感覚を味わうことができるならば、まあ許してやろうという気持ちになっていたのだった。
しかしながら、本書『集合住宅の時間』のページを繰って、青山アパートを取り上げた第23章「表参道で外国を発見する空間装置」に掲げられているありし日の“同潤会のある表参道”の写真を見ると、胸が締めつけられるようにきゅんとしてしまうのである。たぶん“同潤会のある表参道”を歩いた経験は両手の指で数えられる程度に過ぎないはずなのだが、あの懐かしさは何なのだろう。
同潤会アパートは、住意識の歴史を考えるうえでも貴重な存在だが、都市景観、都市計画を考えるうえでも欠かせない要素であり、都市を彩る重要なピースだったと、あらためて喪失感を強く味わっている。
『集合住宅の時間』という書名は、集合住宅という空間を対象にするだけでなく、それら住宅の歴史や、そこに住んでいる人たちの住まい方の変遷という時間に重きを置くという含意があって絶妙である。