成瀬作品にハズレなし?

「ひき逃げ」(1966年、東宝
監督成瀬巳喜男/脚本松山善三高峰秀子司葉子小沢栄太郎黒沢年男中山仁賀原夏子浦辺粂子中北千枝子/稲葉義男/加藤武/土屋嘉男/佐田豊/十朱久雄

先日読んだ『映画が目にしみる』*1文藝春秋)のなかで、小林信彦さんは成瀬巳喜男監督作品についてこんなことを書いている。

成瀬作品は宝の山である。/つむじ曲がりの成瀬監督が「あれはダメです」と言っている映画だって、決してダメではない。佳作、秀作であったりするから、油断できない。(「下町一家の混乱を描く成瀬作品「稲妻」」)
こう書かれたらやはり成瀬作品を観ずにいられなくなる。思い返してみると、去年観た成瀬作品は「石中先生行状記」「妻として女として」「桃中軒雲右衛門」「妻」(再見)の4本あったが、まあ「桃中軒雲右衛門」は別にしても、どれも最初から最後まで観る者を作品に引きずり込む力があった。そして面白かった。
さいわいDVDに録りっぱなしで未見の成瀬作品が山ほどある。今回はそのなかから「ひき逃げ」を選んで実家に持ってゆく。最後から二本目、最晩年の作品だ。
もとより「ひき逃げ」に対する成瀬監督の自己評価が「あれはダメです」の部類に入るのかわからない。一般的にどんな評価を受けているのかも知らない。もともと佳作の評価がある作品かもしれないが、やっぱり小林さんの言うとおり、わたしの予感したとおりの面白さだった。
舞台は横浜。オートバイ会社の専務小沢栄太郎の妻司葉子は、若い中山仁と不倫している。中山とデートの最中、自分の車を運転していた司はあやまって子供をはねてしまうが、中山が同乗していたこともあり、現場から立ち去ってしまう。ひき逃げである。子供は死亡する。
子供の母親が高峰秀子。戦後売春婦をしていたが、客であった小川安三(小型の加東大介)と結ばれ、男児をもうけるものの、夫は早世し、中華料理店で働きながら子供を育てている。このあたりの経緯をわずかな場面で見せ、そこに一人の女性の半生が見事に描かれているところがすごい。
妻から子供をはねたことを告白された小沢は、ちょうど会社の命運を賭けた新車発表の時期ということもあり、身内の不祥事が表沙汰になることを避けるため、お抱え運転手の佐田豊に身代わりで出頭するよう命じる。実際は「頼み込む」と書くべきだが、小沢栄太郎と佐田豊の関係は封建的主従関係のごときもので、有無を言わせない雰囲気なのだ。
そんなふてぶてしさを持つ小沢栄太郎はまさに適役だし、出頭逮捕後の自分や家族の生活保障を懇願する弱い立場の佐田豊も、顔がいかにも“主君に忠節を誓う家臣”という感じではまり役。今回はこの佐田豊さんという脇役を気にせずにはいられなかった。調べてみると多くの東宝映画に脇役(端役と言うべきなのか)として出演している。今後他の映画でどんな役柄を演じているのか気をつけていきたい。
佐田は出頭し、会社の弁護士を介して示談金を払い事件は決着したかのように見えたが、目撃者である事故現場近所のおばさん浦辺粂子がある拍子にドライバーは女性だったと口にしたことで、被害者の母高峰秀子の顔色が変わる。そこから高峰の復讐劇が始まるのである。ここから高峰が小沢・司の家に入り込むまでの過程も細かく見せて面白い。
高峰は積極的に敵の懐に飛び込むことをしない。まず家政婦紹介所に登録して、小沢の家から派遣の依頼がくるまでじっくりと待つのである。紹介所の経営者が中北千枝子。仲間に依頼がきたとき、仲間に頼み込み代理として入り込むことに成功する。
小沢・司夫婦にも、高峰の子供と同じ5歳の男の子がいる。家政婦に入った高峰はそれを見て憎悪をふくらませるが、いっぽうで無邪気な子供の様子に復讐の気持ちも鈍らざるをえない。このあたりの主人公の複雑な心の動きを高峰が名演。
すでに司葉子は良心の呵責にあって精神的に不安定になり、家に閉じこもりきりになっている。高峰は実弟黒沢利雄を使って徐々に司を圧迫していく。このあたりのサスペンスも見事。
緊迫のラストに至るまでの高峰さんの熱演は言うまでもないが、司・小沢・賀原(小沢の家の住み込み先輩家政婦)など脇役にいたるまで適役ぞろいで、ストーリーもあるいは脚本家松山善三さんの傑作の部類に入るのではないかというほど緊迫感に満ちており、いや堪能させられた。