〝渡し船〟に乗って対岸の明治へ

明治の話題

現実社会があわただしくなるほど、近過去が、のどやかな時代に思えてくる。小春日和の温かさが感じられてくる。
なんだか先日読んだ布施克彦さんの『昭和33年』*1ちくま新書)に対する批判めいた一節だが、川本三郎さんの書いた文章から引用した。どうせだからさらに追い打ちをかけるような文章を引こう。
日本の近代社会は、西洋社会に追いつくために急激、急速なものになった。新しく登場した事物も、あっというまに新しいものにとってかわられる。そのために、失なわれたものを愛惜するという感情、とくにノスタルジーの感情は、表に目立ってあらわれることはないが、ひとびとの心の底に強く残った。
日本人に共有される「昔はよかった症候群」は、どうやら近代化の急速な進展が原因のひとつであるようだ。これらの文章が収められた「「小さな明治」への愛惜」は、柴田宵曲の文庫新刊『明治の話題』*2ちくま学芸文庫)の解説として書かれた。
この『明治の話題』は「明治の東京風俗事典を作りたい」という青蛙房岡本経一氏の求めに応じて昭和37年(1962)に書き下ろされた。明治の事物、風俗、食べ物などを取り上げ一項目一頁から数頁の短い文章がおよそ150並んでいる。宵曲自身は明治30年(1897)に生まれたから、同時代人として肌で感じたものばかりではあるまい。でも文章からは明治の匂いのようなものが芬々と立ちのぼってくる。
これは、手法として、明治の事物を語るのに無味乾燥なデータや文献を使わず、小説や俳句・短歌などを使ったために違いない。漱石・鴎外・子規・一葉・緑雨あたりが多く、ほか紅葉・鏡花・白秋、マイナーなところでは沼波瓊音が目立つ。それに小山内薫の小説からの引用が多い。引用された部分を読むかぎり、小山内薫の小説には明治の風俗が鮮やかに取り入れられているようで、関心を持たないわけにはいかなかった。どこかで小山内作品を復刻してくれないものか。
引用の傾向からもわかるが、宵曲は好き嫌いが激しい、というより、好きなものにはとことん入れ込む性分であるらしい。本書を読んでいると、明治の元勲のうちでも西郷従道がとりわけお気に入りのようだ。そのやたら包容力のある柄の大きさにぞっこんまいっているとおぼしい。
陸奥宗光が大臣候補となったとき彼には資格がないと元老中に異議を挟むものが多かった。これに対し従道は胸をはって請け合う。そのときの台詞がいかにも明治ならではのものなのである。
資格といふことは私が慥かに保証します。四五日の間二頭立の馬車で市中を駆け廻れば、立派な大臣の貫目は出来るものです、と一笑した。(「貫目」)
森有礼文相が憲法発布当日凶刃に倒れた報を得て、黒田清隆首相はじめ内閣の面々は動揺を禁じえなかった。
その時給仕を呼んで、いくら貧乏内閣でもビールぐらゐはあるだらう、直ぐに二三本持つて来いと命じ、ひとり盃を傾けたのは西郷海相であつた。従道侯の輪郭の大きさは、この辺にもよく現れてゐる。平凡なるビールを平凡ならしめぬ逸話である。(「ビール」)
宵曲は本当に西郷従道が好きなのだなあと嬉しくなってしまう。
「晴雨」の項では、尾崎紅葉「甚しい降り性」が話題にされる。どういうことかと訝ると、「少し思ひ立つて遠くへ行くことがあれば必ず降られる」とあるから、ああ、雨男のことなのだなと納得する。それにしても「降り性」という言葉は初めて聞いた。雨男・雨女という性別を問わない「降り性」という言葉づかいがやわらかい。
この反対語、つまり晴男・晴女は「照り性」とある。饗庭篁村が自ら「晴天大聖」と称するほどの「照り性」だったという。「降り性」「照り性」というのは明治までの言葉で死語となったものだろうか。『日本国語大辞典 第二版』を調べてみたら、いずれの言葉も項目として立てられていなかった。俗語なのか、宵曲個人の造語なのか。「紅葉山人は甚しい降り性だと自分で云つてゐる」とあるから、造語とは考えがたい。『日本国語大辞典』にない言葉を見つけると、ちょっと嬉しくなる。
最後に、読んでいると明治の空気を吸っているかのような気分になる挿話をひとつ。
アイスクリームに関する話題はいろいろある。中野其明といふ画家が、はじめてアイスクリームを食べさせられて、「あゝ痛え菓子だ」と云つた話の如きは広く知られては居らぬであらうが、江戸ツ子らしい驚異の窺はれる点で、頗る珍とすべきであらう。(「アイスクリーム」)
表題は川本さんの解説から採らせていただいた。