ランキングに目を凝らせば

映画をたずねて

ランキングというものにたいていの人は関心を持つものなのだろうか。あるいは個性によりけりで、まったく関心を持たない人もいるのだろうか。もちろん、何を対象としたランキングなのかということも重要だろう。自分が関心を持っている分野について、ランキングで示した一覧があったとすれば、一様にランキングにも関心を示すものなのか。
いま「ランキングで示した一覧」と書いて思いついたけれど、結局ランキングというものは、順位づけされた目録(カタログ)のようなものである。目録好きな人はランキングも無関心ではないと言うことは許されるだろうか。
わたしはと言えば、関心のあるほうである。中学時代に某社の通信添削講座を受けていたが、添削のほうはおろそかにしても、送られてくる読み物的な冊子には目を通していた。とりわけ特別号か何かで、日本と海外の推理小説のランキングが特集されていて、そのランキングを飽かず眺めていた思い出がある。そこに登場している作品を読みたいという願望を募らせていたのである。
日本映画に関心を持つようになってから手に入れた、文藝春秋編『大アンケートによる日本映画ベスト150』*1(文春ビジュアル文庫)も同じように眺めて飽きない本で、そこに出ている映画を一つ一つつぶしていきたいと思うようになった。
ただ実は、「ベスト150」の本編よりも、各界の映画好きに行なったアンケートで答えきれず、自分でベスト100を選んでしまったという井上ひさしさんの特別寄稿「たったひとりで、ベスト100選出に挑戦する!」のラインナップのほうが個人的なセレクトという点でマニアックで大好きなのである。コメントも井上さんらしくひねられているので、時々眺めてはそこに挙げられている作品について、いずれ観たい作品としてインプットしている。
だから、ちくま文庫の新刊で出た井上ひさしさんのオリジナル対談集『映画をたずねて 井上ひさし対談集』*2は喜んで飛びついた。
対談相手は、「ゴジラ」の本多猪四郎監督(山形県出身ということを初めて知る)をはじめ、黒澤明監督、山田洋次監督、渥美清小沢昭一関敬六、澤島忠、和田誠高峰秀子と、制作者側、出演者側、映画ファンとバランスよく一流揃いであるので、面白くないはずがない。
ましてや前掲稿を読んでいると、そこでのコメントの精神が対談にも流れ込んでいるので、“井上ひさしの日本映画ベスト100”愛好者としてはランキングと併読して楽しめるという中味になっているのである。
井上さんは黒澤作品ファンであり、寅さんファンであり、高峰秀子ファンである。それが対談者に反映されている。「七人の侍」はランキングでは第1位としてあげられ、「三十回は観た。でもあと二十回は観て死にたい」というコメントが付されている。黒澤明山田洋次との鼎談では、一回観た回数が増え、「でもあと十九回は見て死にたい(笑)」となっている。
男はつらいよ」については第14位に「男はつらいよ・寅次郎相合い傘」を挙げ、コメントでは第七作(「奮闘篇」)が最高傑作と断わっている。この点もいくつかある山田洋次監督との対談で言及されている。
高峰秀子さんに対しては、第67位に「銀座カンカン娘」を挙げたコメントで「『馬』を観てから今日まで、女優の一番は、断然、この人である」と書く。これはやはり対談集での高峰さんとの対談でも触れられている。もっとも憧れた女優さんと対談できることにきっと幸せを感じておられるのだろうな。
井上さんはかつて浅草フランス座というストリップ劇場の文芸部員(進行係)として働いていたとき、幕間芸人として出演していた渥美清と知り合い、それ以来の付き合いだという。渥美さんとの対談や、山田監督や小沢昭一さん、関敬六さんらとの対談・鼎談で語る渥美さんとの思い出を読むと、小林信彦さんの『おかしな男 渥美清*3新潮文庫、→8/20条)で知る姿ともまた違った渥美清像がうかがえて面白い。個人的には井上ひさしというフィルターを通した渥美清像のほうが好ましい。浅草フランス座という空間で過ごした仲間意識と、小林・渥美両人の間の友情とは色合いが異なるのである。
本書を読んでもっとも心に残ったのは、黒澤・井上対談で、「七人の侍」セルフ・リメイクを勧められた黒澤監督が「今の若い役者じゃ『七人の侍』はできませんよ」という言葉に続けて吐いた発言だ。

映画というのは、作るというよりは生まれるんでね。生まれるべくして生まれるような気がしますけどね。(112頁)
生まれるべくして生まれる映画は、その時代の産物であり、その時代に観ることが大きな意味を持っている。それがソフト化され、後世のわたしたちでも簡単に観ることが可能である。けれどもメッセージや制作側の意図は伝わっても、その時代に作られた空気だけは完全に汲み取ることは難しい。その溝を少しでも埋めるためには、もっと同時期の映画を観て、それらに関係する本を読む以外にないと考えるのである。