鉄道忌避伝説あれこれ

鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来な

秋田県とわが山形県はもともと出羽国というひとつの行政単位だった。近代になって羽前(山形)・羽後(秋田)と分かれ、現在につながる。
このあいだ秋田を訪れ、初めて佐竹氏の居城久保田城跡(現千秋公園)に行ったとき、感じたことがある。秋田駅からの近さだった。秋田の玄関口である秋田駅から目と鼻の先にお城がある。いや、順序から言えば、お城の近くに駅が設けられたとすべきか。
ここでわが山形市にある山形駅を思い出さないわけにはいかなかった。山形駅も山形城跡(現霞城公園)のすぐ近くにあるからだ。山形駅から北に向かうとまもなく城跡があり、そればかりか奥羽本線の線路は二の丸のお濠端に平行して走っている。ただ、駅からの近さで言えば秋田のほうが近いかもしれない。
加えてさらに思い出したのは、その少し前に訪れた秋田県北部の古い町大館だった。こちらは逆に、町の中心部から大館駅がえらく離れていた。バスでないと行けないような距離にあった。
なぜこんな町から離れた場所に駅があるのだろう。きっと鉄道が敷設されたとき、地元の人びとが反対したから、こんな遠くに駅ができたのだと、よく耳にする話を連想して勝手に納得した。
ところが、鉄道史家青木栄一さんの新著『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町』*1吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)を読むと、このような地元民の反対運動により鉄道が来なかったという話はまったく根拠のない虚説であることがわかり、目から鱗が落ちたのであった。
青木さんはこれを「鉄道忌避伝説」と呼ぶ。たとえば中央線が出来るとき、旧来の街道筋の宿場町(府中や調布など)が反対したため、その北にまっすぐ線路が敷かれたという話は虚説であることを実証する。
青木さんをはじめとする良心的な鉄道史家の努力により、その世界ではすでに「鉄道忌避伝説」のヴェールは剥がされ、根も葉もない話であることが明らかになっているのだが、「忌避伝説」が自治体史や子供たちへの歴史教本に記載されまことしやかに伝えられることで、一人歩きしていまなお信じられ、一般社会に流布しているという。
上記大館の印象からもわかるように、わたしも、駅が町から離れていたり、不自然な径路をとっていたりするのを見ると、漠然と「鉄道忌避」とストレートに直結させていた口であったから、青木さんの指摘はすこぶる新鮮だった。
鉄道が敷かれると宿場町が寂れる、汽車の煤煙で空気が汚れる、汽車の飛び火が火事の原因となる、そんな理由で鉄道が忌避され、結局別の場所、離れた場所に駅が設けられたという話は全国各地にある。青木さんはそれらに対し、反対運動を示す史料がないことなどを理由に忌避は伝説だとしりぞける。それどころか住民による誘致運動が行われていた町すらあると指摘する。
実際駅が町の中心部から離れている場所を見ると、工事的に難工事が予想され、技術的経済的に当時の水準では困難であったり、また、すでに形成されている町に鉄道を通すことに用地取得上の難問があったりで、結局離さざるをえない、中心部を避け迂回せざるを得ないという事情があったという。そうした経緯が忘れられ、後年そこに「忌避伝説」が付着してしまったのである。
このような指摘を受けてみると、きわめて合理的な理由だから納得させられる。ただ、真相を知ると「なあんだ、そんなことか」とつまらない。話としては伝説のほうが面白いのだ。真実は合理的でまったく面白味に欠けるけれど、「忌避伝説」という煙幕を取り払って奥にある真相を追究するという過程がワクワクするほど気持ちいいから、本としてはすこぶる読み甲斐がある。
そんな本書の指摘から考えると、秋田・山形が城というそれまでの町の中心のすぐそばに駅を設けることができた、つまり城下町の中心に鉄道を通すことができたことが逆に不思議に思えてくる。なぜそれが可能だったのだろう。当時の県令など自治官僚(内務官僚と言うべきか)の実力なのだろうか。
突然ここで先々月観たトニー谷主演の映画「家庭の事情 馬ッ鹿じゃなかろうかの巻」を思い出す(→10/5条)。ひょんなことで参加したマラソン大会で優勝してしまった戸仁井氏ことトニー谷に、優勝商品として授与されたのが一軒家だった。
野原の真ん中にある一軒家に戸仁井氏は大喜びするが、おりしもそこに鉄道が通るという話が持ち上がっている。一軒家の地主たちは当初土地引き渡しを拒否するが、引き渡した土地に鉄道を通すことを戸仁井氏が承諾したため、引き下がったのである。
かくして鉄道は戸仁井氏の敷地はおろか、建物を真っ二つにしてその真ん中を通るハメになったというギャグ。台所から茶の間に行くにも線路を越えなければならなくて危なっかしい。
これも「忌避伝説」の一種かと思いきや、よく考えれば線路敷設のため地主との買収交渉が難しいという事実を反映しているわけで、青木さんの説を側面から援護しているものになっていることに気づいた。