まず街があり映画館があり…

中井英夫全集12 月蝕領映画館

東京創元社の創元ライブラリとして刊行されていた文庫版『中井英夫全集』が、このあいだ出た第12巻『月蝕領映画館』*1をもって完結した。当初全10巻・別巻1の11冊予定が一冊増えた。
いま書棚に並んでいる第一回配本の第3巻『とらんぷ譚』の奥付を見ると1996年5月31日となっているから、完結まで実に10年を費やしたかたちになる。この巻と同じ年に刊行された第1巻『虚無への供物』や第6巻『ケンタウロスの嘆き』を取り出してみると、仙台に住んでいた喫煙者時代に買ったためか、カバーや小口が茶色に変色してしまっている。あれから10年、ひと昔か…。
全集も忘れた頃不定期に刊行されるようになったことと、自身周辺の諸事に紛れ、買い漏らしている巻がある。第2巻(小説2)と第8巻(日記1)だ。忘れぬうち早く買っておかねば。ただ、いま書店に並んでいる『中井英夫全集』は小口が削られているものが多く、買う気が損なわれてしまうのが残念だ。それで何度か買うのを断念している。
さて最終配本の『月蝕領映画館』は、『アサヒグラフ』誌に連載された70本の映画コラムをまとめた珍しいエッセイ集だ。少年時代からの映画好きで、この連載時点で中井英夫は60歳になろうとしているにもかかわらず、旺盛な鑑賞欲を持って試写室はおろか、渋谷など繁華街の映画館にもこまめに足を運んでいるのに多少驚かされた。これはまったくの印象に過ぎないが、中井英夫は“書斎の人”というイメージだったから。
そして映画を観ては、映画の内容や俳優の演技だけでなく、あまりにお粗末な映画館設備の不備に対しても辛辣な小言を吐きかける。中井英夫にとって映画を観ることは、放棄することのできない骨がらみになった愉しみとおぼしいのである。
カバー裏の紹介文にも引用されている「あとがき」の名文。

田端と動坂の間に生まれ育った私は、古めかしい浅草も懐かしければ新しがりの新宿も好きという思い入れがあって、まず街があり映画館があり、中に映画があり銀幕がありスタアがいるという〝往き〟の手続き、あるいはその逆という〝還り〟の手続きなしに映画だけの話をするつもりはない。そこは魔法の森で、あいにくグレーテルはいなかったが、ヘンゼル少年は容易にお菓子の家を見つけることができたのだから。たとえそれがスウフレやレーズンサブレではなく、かるめ焼に塩大福のたぐいであろうとも。
「映画だけの話をするつもりはない」と強い調子で語るだけあって、またわたしもそこに共感を抱いたゆえもあって、「まず街があり映画館があり」という手続きに通じあう文章に強烈な引力をおぼえた。引用の連続で恐縮ながら。
都市という時間・空間の連続体の中に浮き沈みする映画館は、そのひとつひとつが時館・空館にほかならない。(42頁)
専門の批評家にとっては映画そのものが対象となるのは知れたことだが、私には何よりもまず馴染みの街があり映画館があって初めて映画を観る行為が成立する。狭い試写室で小さな画面を眺めるのは、およそ娯しみとは無縁な苦行に近く、よくせきのことがなければ出かける気にはならない。(49頁)
ひるがえって昨日のシネコンでの映画鑑賞体験についてつらつら考える。昨日は自宅の近くにこうした映画館がある幸せと書いた。この環境もまた「街があり映画館があり」にほかならないけれど、そこに巨大なシネコンがあるゆえに、観たい映画はそこですべて済んでしまうのも、つまらない。
乏しい映画(館)体験のわたしが言うのも愚かだが、古い映画を観るためにわざわざ足代を払い時間を犠牲にしてふだんは無縁な町、たとえば阿佐ヶ谷や下北沢、横浜、池袋などに足を運ぶことは、映画を観るだけにとどまらないプラスアルファがある。
「いい映画を観た」という深い感慨を胸に、狭苦しいミニシアターの空間から外に出ると頭上に広がる青空。「ああ、今日映画を観に来てよかったなあ」と何度思ったことか。まっすぐ帰らずに映画館がある町をぶらぶら歩きしながら、以前来たときにはなかったラーメン屋に入り、古本屋の店先をひやかす。そんなとき、東京に住むことの喜びを感じる。東京で暮らすことは苦しい。せめてこんなときに喜びを見いださねばやっていけない。
息子たちは東京で生まれ育っているから、このような環境は所与のものとなっている。近くにシネコンがあるのも当たり前。なるべくいろんな町に連れ出して「街があり映画館があり」という体験を味わわせたいものだ。
中井英夫のエッセイ集を読んでわが東京生活を反省することになろうとは、夢にも思っていなかった。