平日昼間でも大行列

国立公文書館に行って私的な目的で調べ物をしなければならなくなった。年休も余っているし、せっかくだから休暇を取り、調べ物が終わったあと懸案を達成しようと思いつく。美術館めぐりである。そんなふうに目論んで翌日の休暇届を出し、やれ明日は休みだとそわそわしながら帰途についたところ、何だか寒気がして関節がじくじくと痛い。帰宅して体温を測ったら、悪い予感が当たった。微熱がある。風邪の前兆か。
せっかく取得した休暇の一日を風邪で寝込んでいたらもったいない。その日は早めに寝て気合いで熱を下げようとする。ひと晩おとなしく寝たおかげで、平熱よりはちょっと高めだけれど、昨晩より熱は下がった。
午前中は国立公文書館でお勉強。本当は隣の東京国立近代美術館で開催中の「揺らぐ近代」展も観に行きたかったのだが、体力と時間との相談のすえ断念する。そのまま地下鉄を乗り継いで上野に出た。
上野公園西郷さんの銅像の奥に目指す上野の森美術館がある。ここを訪れるのは初めてではなかろうか。「生誕100年記念 ダリ回顧展」開催中なのである。土日は異常なほどの行列だという噂を聞いていたので、観るなら平日しかないと考えていたけれど、機会がなかったのだ。休暇を取ってまず考えたのはこのダリ展だった。
とはいえ平日の昼間だというのに、入場口のあたりの雰囲気は中の混雑ぶりを伝えているかのよう。入ってみると、この間の出光美術館とまではいかないが、けっこう並んでいる。入ってすぐの「ご挨拶」の文章にまで並んで読もうとしている人がいる。これらは図録を買ってあとで読めばいいと素通り。
中も大混雑。日本人はなぜこうも並ぶのが好きなのだろう。ダリ作品が展示されている壁面に沿ってアリのように行列が続く。ひとつのパートを観終え、次のパートに移るとき、そこにできている行列の最後尾にきちんと並ぶ人たち。わたしはそこまでしてじっくり観たいとは思わない。こんないい加減さは、並んでいる人から見れば、ちゃんとダリを観ていないと言うことになるのだろう。1500円も払っているのだから、丁寧に観るべきなのか。
わたしは美術館の行列が嫌いなので、行列の後ろからさっと流し、目に止まった作品のところでは行列の切れ目に入り込んで、観終えたらさっと抜けることを繰り返す。最近おとなしい絵を好んで観ているせいか、ダリ(いや、人間のというべきか)の精神世界がそのまま表面に出てきたような、モノが散らかった画面に圧倒される。
この、道具がぶちまけられたような忙しい画面が昔は大好きだった。ふりかえれば、東京に来てまもない1999年に開催されたダリ展を観に行ったことを懐かしく思い出す。昔からダリは人気があったが、今回のダリ展の人の多さにあらためて驚かされた。ダリって、こんなに多くの人から迎えられたっけ。仙台にいた頃は、同好の友人とひそやかに「ダリっていいね」と囁き交わしていたような気がするのだが。
今回気になったのは「松葉杖」。ぐにゃぐにゃの顔を何本もの松葉杖が支えている「焼いたベーコンのある自画像」がいい。絵はがきを買い求める。ダリ展に行くその時ごとに、気になるモチーフが違うのは、その時々の心の持ちようも違うからだろう。今回は不安定さを支える松葉杖が気になったということだ。だからといっていまの自分の精神状態が不安定であるという短絡な発想をふりはらう。
美術館の目の前に石造の柵で取り囲まれたいわくありげな空間がある。近づいてみると、寛永寺を創始した天海僧正の毛髪塔だった。広小路方面に足を進めると、彰義隊戦死者の墓所がある。そこに背を向けるように立っている西郷さんの銅像もとっくりと眺め、上野公園をあとにした。