「女流」好き嫌い

女流―林芙美子と有吉佐和子

先日林芙美子の長篇『茶色の眼』(講談社文芸文庫、→11/20条)を読んだことで、また林芙美子に対する関心が沸きあがってきた。
そこで、新刊で買ってからそのままになっていた、関川夏央さんの『女流 林芙美子有吉佐和子*1集英社)を読むことにした。副題にあるように、林芙美子有吉佐和子二人の女性作家に関する評伝である。
巻末の成稿一覧を見ると、林芙美子についての「林芙美子の旅」は2002年から04年にかけて、有吉佐和子についての「有吉佐和子的人生」は2005年から06年にかけてと、両者の間に少し間をおいて、同じ『青春と読書』に連載された文章をまとめた本となっている。川本三郎さんの『林芙美子の昭和』(新書館)が出たのは2003年のことであり、川本さんがこのもとになる連載をしていたのが1997年から2001年にかけてのこと。
わたしにとって川本三郎関川夏央という書き手は、微妙に書かれる対象が重なることもあって、ちょっと似たイメージを持っている。林芙美子についても、奇しくも重なりはしないけれど両者ほぼ同時期に関心を持っていたということになる。
林芙美子有吉佐和子、関川さんがつづる二人の生き方を読むと、いずれも生命力、行動力に富み、いわゆる「女流作家」のイメージからは大きくはみ出す作家像を周囲に与えていた人たちであることがわかる。
これをあえて「女流」としたのは、かつて文壇に存在した「女流作家」というカテゴリー、そうした枠組みが生きていた時代への関心から、そこからはみ出さんばかりに才能を迸らせた「女性作家」をあえて取り上げたのだろう。

才能があって過剰なまでに個性的、そして生命力にあふれすぎた「女流」、ただし後進ギアを持たず、またエンジン冷却装置に構造上の難点があった「女流」、彼女たちの人生に対する愛惜の念と彼女たちが生きた時代への興味、それらを動機として私はこの本『女流』を書いた。(「あとがき」)
どちらも周囲を圧倒し、辟易させ、果ては嫌われるまでに至るような、旺盛な行動力で世の中を生き抜き、猛スピードでそのままこの世を去っていった。林芙美子については『放浪記』と『茶色の眼』、有吉佐和子については『悪女について』しか読んでいない人間が言うのも憚られるが、どうもこういうタイプの女性は苦手である。お近づきにはなりたくない。影響をこうむらない程度に離れた場所に陣取って遠巻きに眺めたい。
とはいえ林芙美子には好感を持つのである。ひとえにそれは居心地良さそうな彼女の住まいの印象による。落合にある旧邸は現在新宿区立林芙美子記念館としてそのまま保存されている。以前訪れたとき、純和風で、とても上品なたたずまいの屋敷に、一目惚れしてしまったのだ(旧読前読後2003/2/15条)。
林芙美子の家には落着きがある。明るさがある。風の通りがよい。人をしてさわやかに羨望させるなにものかを備えている。そしてたしかにこれも林芙美子の一面なのだろう。ただし客間がない。編集者は玄関脇の四畳半にたまることになっていたという。(74頁)
同じく関川さんの本によれば、設計を依頼するさいの第一条件が「東西南北から風の吹き抜ける家」だったとあるように、南向きの斜面に広がる緑に囲まれて風通しのよい和風建築を目の当たりにして、こういう家に住みたいと強く思ったのだ。それとともに、こういう家を自らの意志で建てた人に対し、無条件で好意を持ったのである。
それにくらべれば、有吉佐和子篇では、メキシコに向かう飛行機で隣席に座った同乗した森繁久弥が有吉の発散する雰囲気をどうも好きになれず、目的地に着くまで会話を交わそうとしなかったという挿話が面白いくらいで、わたしも森繁さん同様、たとえ第三者の手による評伝であっても、そこから発散されるエネルギーを受け付けることができなかった。