誰が誰に向かって石を

「恋文」(1953年、新東宝
監督・出演田中絹代/原作丹羽文雄/脚本木下恵介森雅之久我美子宇野重吉/道三重三/香川京子/関千恵子/中北千枝子/安西郷子/沢村貞子月丘夢路/花井蘭子/夏川静江/安部徹/笠智衆井川邦子入江たか子七尾伶子/清川玉枝/佐野周二/三井弘次/三原葉子

岩波ホールで上映中の、せんぼんよしこ監督「赤い鯨と白い蛇」を観に行きたいと思った。(若い頃の)香川ファンとしては気にせずにはいられない。
小林信彦さんの香川京子長澤まさみ説を思い出し、先週最終回だったドラマ「セーラー服と機関銃」の長澤まさみも良かったなあと連想が働いたところで、若い頃の香川さんが出演している未見の映画を観たいという気持ちが盛り上がってきた。
そう言えば先日DVDに録っておいた田中絹代監督第一回作品の「恋文」に香川さんが出ていたのではなかったか。先の週末しばらくぶりに渋谷で呑む機会があって、渋谷という繁華街が何となく頭のすみに残っていたタイミングもちょうどいい。渋谷恋文横丁のたたずまいにひたってみよう。
復員してから定職につけず、弟(道三重三)の家に居候して何とか暮らしを立てなおそうとしている主人公森雅之。彼は郷里に想っている人(久我美子)がいたのだが、久我の家では軍人と結婚することを許さず、二人の仲は裂かれてしまう。久我が夫と死別し東京に出ているという話を聞き、時間を見つけては都会の雑踏にたたずんで彼女の姿を探す。
そこで出会ったのが旧友宇野重吉。宇野は渋谷の「すずらん横丁」でラブレターの代書屋をしていた。進駐軍兵士の相手となった娼婦たちの代わりに、英語で恋文を書いてあげたり、相手からの英文の手紙を読んであげたりしているのである。英語とフランス語に堪能な森は宇野に代書屋の仕事に誘われる。
ある日そこを訪れたのが久我だった。外国人との間に子供をもうけたものの、相手が帰国したため生活に困り、援助を求める手紙を依頼に来たのである。せっかく再会できたというのに、律儀な森はそんな久我の生活を恥じ、強くなじってしまう…。
田中絹代の監督第一作ということで、木下恵介が脚本を担当し、出演者も豪華な顔ぶれである。友情出演・賛助出演という立場で、名前のある俳優たちがチョイ役で出ている。月丘夢路笠智衆沢村貞子、安部徹らである。香川京子沢村貞子の営む古本屋で働く女の子。道三と仲良くなる。
川島雄三監督の「女であること」でも、久我美子香川京子は対照的な女性(この二人に挟まれるのが森雅之だ)を演じているが、「恋文」でも、過去の重荷を背負った久我に対し、香川は明るい。そして、やっぱり可愛い。
友情出演陣のなかで印象的なのは、ラスト近く、日比谷公園を歩く久我を見つけ話しかけてくる横須賀時代の娼婦仲間中北千枝子だ。新しい仕事についてようやく過去を清算しようとしている久我に親しく伝法な調子で接してくる。久我は避けたいのだが、中北は現在の久我の境遇を知らないから、以前と同じ調子なのである。はからずも松本清張の「ゼロの焦点」を思い出した。あれも久我美子が主演だった。
最後の最後で、宇野重吉森雅之に向かってつぶやく台詞がいい。一貫して戦争、軍隊を嫌った木下恵介らしい台詞である。

こういう言葉知ってるかい。“汝らの中で罪なき者、まず石を投げよ”。日本人は一人残らずあのくだらない戦争の責任がある。そして、一人残らず敗戦の怒濤の中でもみくちゃになった。いったい誰が誰に向かって石を投げられるというんだ。