パリ空間時間旅行小説の悦楽

パリでひとりぼっち

鹿島茂さんの最新長篇『パリでひとりぼっち』*1講談社)を読み終えた。最新長篇と言っても鹿島さんは小説家ではないから、これが『妖人白山伯』(講談社、→旧読前読後2002/6/23条)に次いで二作目の長篇のはずだ。
発売されたことを知ってから、すぐにでも購入して読みたかったのだけれど、ぐっと我慢した。案の定大学生協書籍部がすぐに入荷してくれなかったこともあるが、紹介文を読んだら何か賞をとるのではないかと思わせるような趣向の小説だったので、そういう記念碑的な本ならば東京堂書店で署名本を購入しようと決意したからだ。
発売日から二週間ほどのちに神保町に出る予定が入っていたので、珍しく二週間も我慢してしまった。この間もし書籍部が入れてくれたら、我慢できず購ったかもしれない。ようやく書籍部の新刊小説棚で本書の姿を見たのが、当の神保町に出る日の昼休みだったというのが泣かせる。
1912年7月12日の朝10時。パリにあるアンリ四世校という国立中学(リセ)に留学していた日本人コマキ・オオミヤ少年(大宮駒樹)は、授業料・寄宿料滞納を理由として除籍処分の通告を受け、寄宿舎を着の身着のまま追い出された。コマキ少年の父は秋田の衆院議員であったが、選挙で落選してから、仕送りが途絶えていたのである。
彼は留学以前に父とパリ滞在中、一度訪れたことのある父の親友の義弟を頼ろうとするが、運悪くその人は翌朝パリを発って日本に帰国することになっているという。持ち合わせのお金を貰い、次に入学時に保証人になってくれたフランス人の公証人に窮状を訴えようと考える。
ところがこれまた折悪しく、時期がちょうど七月のヴァカンスの時期にあたっていたため、保証人は避暑地に静養に出かけてしまい、戻ってくるのは二週間後だという。これまでリセの外での生活体験がないコマキ少年だが、保証人が戻ってくるまでの二週間、微々たる持ち金を頼りに生きのびてゆこうと決心する。
以上のような趣向で、何の身寄りのない一人の東洋人の少年が、20世紀初頭のパリという大都市のなかでいかに生活してゆくのか、当時のパリという都市の様子、庶民生活のあり方、社会風俗生活風俗をリアルに取り込みながら物語は進行する。
いま「庶民生活」と書いたが、コマキ少年が置かれた境遇は庶民というより、最下層の生活者と言ってよい。とはいえ当時のパリには「浮浪罪」という罪があって、野宿をする人間は逮捕された。したがって、夜にはどうにかして屋根付きの寝場所を確保しなければならない。それには金が必要となる。もちろん日々の食事にだって金がいる。
そのためにコマキ少年は市場など日雇い労働の口を探して日銭を稼ぐ。この間彼の身の上を心配してくれる私娼の美少女や弟と二人でパリ郊外に暮らす年下美少女、かつてリセでともに学び、いまは進学塾の「傭兵」として雇われた同級生などとの友情恋情が絡んでくる。一人の少年の成長小説でもあり、物語としても「このあとどうなる」という興味で読ませる筋立てだ。
さすが仏文学者であり文化史家である鹿島さんらしい、パリの細部がとことんまで描き尽くされている。20世紀初頭のパリ都市風俗を描くという目的が先にあってこしらえられた、しかも日本人による小説。こんなこれまでの小説の常識を覆したようなフィクションを読める嬉しさに、次へ次へと読み進めようとはやる気持ちをぐっとこらえ、なめるようにゆっくりと味わって読んでいった。
たぶんこの作品には、これまでの鹿島さんのエッセイなどで紹介されたパリ風俗だけでなく、鹿島さん自身のパリ体験も存分に活かされているに違いない。ひとりぼっちになった日に出会った仔猫と一緒に暮らしたいコマキ少年が最後に行き着いたのは、パリの周縁にある「ゾーン」と呼ばれる軍事城壁の外側250メートルの地域だった。ここは軍事的観点から一切の建物を建ててはいけないことになっていた。
ところがここにいつしか無断でバラックが建ちならび、住人たちは居住権を主張するようになる。丸屋根のドラム缶(ビドン)に似た移動小屋が立ち並ぶ町ということで、ビドンヴィルと呼ばれた地域。ここは治安も悪い無法地帯であるが、その地域のなかに溶け込んでしまえば危険性も感じないという地域。パリ市外にあるから入市関税がかからないため、物価がきわめて安い。
このゾーンについては、先日読んだ『パリの秘密』*2中央公論新社、→11/3条)のなかの「ゾーン、夢の郊外」という一篇でも触れられている。
いま一度このエッセイを読み返してみると、1926年4月の法令で城壁の撤去が決まり、ゾーンにも分譲住宅の建設が許可されたという。「その結果、ゾーンは兵舎や町工場、自動車修理工場などの散文的な建物が立ち並ぶたんなる「場末」と化してしまった」。コマキ少年が暮らしたパリは1912年だから、まだゾーンは健在であり、現在ではうかがうすべのない過去のパリが小説のなかで描かれているのである。
きっとこのゾーンにかぎらず、1912年という断面で切りとられたパリの姿、パリに暮らす人間たちの姿が象徴的に組み込まれているのに違いない。これを読んでいるわたしたちは、コマキ少年の目を通してパリという空間を旅するだけでなく、いまから約百年の時間を遡った過去を旅する体験という二重の旅行を味わうことになる。かつて書かれた鹿島さんのパリ・エッセイも読み返したくなってきた。
【追記】“鹿島茂教授の仕事部屋”主宰の齋藤さんから、この作品にはモデルがいることを教えていただきました。
同サイトの「過去のニュース」によればモデルは小牧近江という人物で、「小牧近江は1921年に金子洋文らと雑誌「種蒔く人」を発刊した人物です。暁星中学校を中退し、万国議員会議に出席する父とともに渡仏。苦労してパリ大学法学部を卒業しています。1978年に84歳で没。著書に『ふらんす革命夜話』など」だそうです。
言われてみれば連載開始当初、こちらのサイトで目にした記憶がよみがえってきました。それをすっかり忘れていたのは迂闊きわまりなく、ご指摘いただいた齋藤さんに感謝申し上げます。
20世紀初頭に「パリでひとりぼっち」を体験した日本人少年がいたことは事実としても、それを土台に当時のパリの都市風俗社会風俗を再現しようとした鹿島さんのオリジナリティはいささかも損なわれていないものと考えます。実在のモデルの記録を肉付けして、あのように魅力的な小説を完成させた鹿島さんのお仕事を、齋藤さんと一緒に寿ぎたいと思います。