「私の履歴書」の愉しみ方

私の履歴書―中間小説の黄金時代

経済というものに縁がなく、また関心もなく齢を重ねてきたため、日本経済新聞という新聞を購読した経験がない。同紙の人気シリーズと言えば「私の履歴書」を思い浮かべるが(というより、それしか思い浮かばないが)、今でも続いているのだろうか。
単行本になっている同シリーズを古本屋で時々見かけるけれど、たいてい財界人編だから敬遠してしまう。それぞれの世界で一家を成した人たちの自伝だから、読めば読んだでつまらないということはないのだろうが、読まず嫌いで避けてしまうのである。
たとえばこれらの連載がシリーズとしてまとめられた本ではなく、書いた人の著書に収められているようなら、自伝として俄然光りを増してくるような気がするから不思議だ。坂口謹一郎さんの『愛酒樂酔』*1講談社文芸文庫)に「私の履歴書」が収められているが、それを見るとこのシリーズの価値の大きさを感じずにはいられなくなる。
このシリーズがセレクトされて文庫化されていることを最近知った。書き手の職種によって巻立てされている。これまで力士篇(時津風定次=双葉山二子山勝治若乃花大鵬幸喜)、日本画家篇(上村松篁・東山魁夷加山又造平山郁夫)が出ており、今月の新刊で作家篇私の履歴書―中間小説の黄金時代』*2日経ビジネス人文庫)が出ているのを見つけたのである。作家篇には井伏鱒二舟橋聖一井上靖水上勉の四人が執筆した「私の履歴書」が収められている。水上勉篇のみ単行本未収録である。
これだけなら買わずに通り過ぎてしまったかもしれないが、解説が坪内祐三さんだったので踏みとどまり、買うことにした。来月の文庫新刊情報によれば、来月は映画女優篇で、杉村春子東山千栄子篇が収められるらしい。これまた楽しみだ。
さて坪内さんは、本書に収められた四人の組み合わせを「絶妙な取り合わせだと思う」とし、四人の共通点について、純文学と大衆文学という二項分類では収まることのできない文学性と大衆性を持っていたこと、文壇が輝いていた時代のスター作家であったことをあげている。
同人雑誌があちらこちらにあって、離合集散を繰り返しながら交流の輪を広げ、腕を磨いて文壇の表面に躍り出ようと苦闘する。坪内さんが文学的に同世代とする井伏鱒二(1898年生れ)や舟橋聖一(1904年生れ)を読むと、大正から昭和初年における文壇の激しい潮流のなかで、同人雑誌に拠りながら一流に上りつめていった過程がよくわかる。
だから坪内さんは、そうした「同人雑誌の時代」の渦中にあり、また、イデオロギーとは無縁な作風ゆえに戦時中を何とかしのがなければならなかった井伏・舟橋両人の自伝の面白さを評価し、「この本の一つの読み所である」と指摘する。逆に遅い年齢で戦後デビューだった井上靖篇は「動きがとぼしく、私には読みごたえが薄かった」と感想を漏らす。
わたしの場合そういう「同人雑誌の時代」という視点、イデオロギー皆無の作家の戦時中という視点は欠落していたが、一番面白かったのが舟橋聖一、ついで井上靖(の毎日新聞記者時代)だった。
古河財閥の大番頭を祖父に持ち、父は東京帝国大学工学部冶金学科の教授という家に生まれた舟橋聖一は、目白の屋敷を思い浮かべるから山の手の子というイメージだが、生まれたのは本所横網(いまの両国国技館のあるあたり)で、明治末年の下町の暮らしや、帝国大学教授の家のハイソな暮らし(芝居や相撲を見る)の記述が面白い。
とりわけ舟橋は後年横綱審議委員長を勤めたほどの相撲好きで、これは横網で生まれ、周囲に相撲部屋があって、日常的に力士たちと交友があったからであることがわかる。この舟橋による大正期の大相撲の様子がいまのシステムとまったく違うから、驚いてしまう。
たとえば当時の物言いは長いときには数時間かかることがあって、検査役(審判委員)はそのときはいったん退場して審議したそうだから、土俵が空っぽになる。そのうえで「預かり」、つまり引き分けもあり得た。また、当時は取組相手が休場しても不戦勝(不戦敗)とはならず、双方が「ヤ」となってしまう。勝ち星の多い方が優位となるから、もし優勝争いのライバルの取組相手が自分と同部屋の後輩だった場合、彼を故意に休ませて相手に「ヤ」印をつけるという戦略をとったという。休まれ損なのだ。
文壇云々というより、こんな時代風俗、社会風俗の違いにばかり目がいってしまった感があるが、「私の履歴書」はそういう読み方もできるから、やはり財界人というだけで敬遠するのも考え物だ。