最近見た「戸板康二」

小説新潮2006年11月号

かねてから楽しみにしている創元推理文庫の『中村雅楽探偵全集』は、同社のサイトの「近刊案内」に出たまま、「新刊案内」に移る気配がない。現在のところ11月刊行予定となっている。5月に出るらしいという情報を耳にしてから、首を長くして待ちつづけ、夏を越し、いったん「近刊案内」からすら姿を消したこともあったはずで、いったいどうなっているのだろうか。本当に待ち遠しい。
今日の朝刊に載った雑誌広告のなかに「戸板康二」の四文字を見つけたとき、眠気が吹き飛んだ。『小説新潮』11月号では、「創刊750号記念名作選」と題し、北村薫さんと宮部みゆきさんにより、過去同誌に掲載された短篇のなかから12篇が厳選され、再掲されている。そのなかに戸板さんの「少年探偵」という短篇が収められているのだ。
調べてみるとどうやら本作品は単行本未収録作品であり、発表が平成5年(1993)1月号。戸板さんはその年のまさにその月に急逝されたのだから、亡くなる直前に発表された作品ということになる。これを遺作と称していいものか、“戸板康二ダイジェスト”のふじたさん(id:foujita)にお訊ねしなければならないが、ほぼそれに近いものだということは言えるだろう。
さっそく買い求め一読した。「麹町区富士見町六丁目」に住んでいた小学生がいくつかの「日常の謎」を解く味わい深い短篇で、その地名表示からも、描かれている時代相からも、戦前のある時期の少年たちをモデルにしたものであろうことが推察される。この時代のこういう雰囲気を背景に小説を書く人はもういないだろうなと思うと、寂しくもなる。
実際ふじたさん作成の「年譜」によれば、戸板さんは昭和2年(1927)、小学校六年の頃から四年間その富士見町に住んだらしい。小説では、主人公の一人安男は小学三年から六年まで住んでいたとあるから、自らの記憶がもとになっていることは、まず間違いない。
気になるのは、冒頭「この町内で、前に書いた「異人館」とは別だが、やはり大きな門構の家に住んでいる寺本さんには、…」という一節があって、同じ雑誌に「異人館」という作品も発表されたことが示唆されている。晩年になって、このように自らの少年期の記憶をもとにした単行本未収録短篇がいくつかあるのかもしれないと思うと、これらを猛烈に読みたくなった。
さて、同誌には選者北村・宮部両氏による対談も掲載されている。それを見ると、12篇に絞り込まれる以前のノミネート作品31篇には、「少年探偵」のほか「かなしい御曹司」も入っている。こちらは雅楽物であり、最後の雅楽物短篇集『家元の女弟子』*1(文春文庫)に収められている。文藝春秋で単行本が出て、文春文庫に入っているから、文春系の雑誌に連載されたものだとばかり思っていた。
戸板ファンとして嬉しいのは、宮部さんが「最近は昔ほど読まれていないのが残念で仕方ない」と嘆き、「少年探偵」「かなしい御曹司」2篇とも推していたこと。一作家二作品に編集長が渋い顔をして、残念ながら「かなしい御曹司」は落ちた。
対談では、この作品の元ネタ(「私だけが知っている」)があるという北村さんの興味深い話に加え、宮部さんが戸板作品と北村薫作品の共通性を指摘、「物の見方まで共通する」としたうえで、北村さんに、戸板作品を意識したことがあるのか問うている。北村さんはこれに対し、「特に意識したことはない」と答えたものの、『グリーン車の子供』『團十郎切腹事件』はとても面白いとし、戸板作品談義に花が咲いている。北村さんに宮部さん、二人ともわたしの好きな作家だが、その二人が、さらに好きな戸板作品を高く評価しているのがとても嬉しい。
ちなみに「創刊750号記念名作選」の12篇は次のとおり。

平成になってからは戸板作品ただ一本だけだ。最も新しいのにノスタルジーを感じさせるあたり、いまなお読まれるべき普遍性を持っているような気がする。
ところで戸板さんと言えば、先月出た小田島雄志さんの新刊エッセイ集『道化の耳』*2白水社)も注目すべきだろう。小田島さんは駄洒落好きで有名であり、戸板さんとは酒友ならぬ「洒友」だった。これについては、小田島さんの別著『駄ジャレの流儀』(講談社文庫)の感想を書いたときにも触れた(旧読前読後2003/1/16条)。道化の耳
最新刊の『道化の耳』では、「この歌舞伎評論家、直木賞作家、その他数多くの肩書をもち、ぼくにとっては人との接し方やお酒の飲み方の師匠であり、ぼくのことを「酒友」であるだけでなく洒落の友で「洒友」でもあると呼んでくださった方の、たぶんぼくだけが目撃した忘れえぬ一コマ」が披露された一篇「真っ白なハンカチ」や、2003年に「戸板康二さんを偲ぶ会」が開かれたおりに即興でこしらえた句を記した「ことばの遊び人」など、何箇所か戸板さんの名前が散見された。
小田島さんの本は買ってからそのまま積ん読状態で、いま当座にパラパラとめくって目についたところを紹介したまでで、熟読すればもっと多く戸板さんが登場しているかもしれない。戸板作品だけでなく、小田島さんのエッセイ集も早く読みたくなってきた。