どちらがミーハーなのか

自虐の詩

先日(「長谷川利行の愛した下町展」の存在を知った日の翌日)の早朝、通学する長男と一緒に歩いていたとき、最寄駅近くの路上でロケ撮影に出くわした。道路の真ん中に岡持を置き、白いエプロンに白い三角巾をかぶった細身の女性が前にしゃがんで、岡持の中身の説明を受けている。朝で時間もなかったから、女性が誰なのか確認できなかった。
「駅前でロケをやっていたぞ」とさっそく妻にメールで知らせたところ、わたしに劣らずミーハーな妻は次男を連れそのロケ現場を見物に出かけたらしい。そのときすでに周囲に人だかりができ、交通整理のためのスタッフもいたとのことだが、妻がそうした人や向かいの肉屋のおやじさんから聞き込み、その後わかった情報を総合すれば、内容は以下のようなものである。
ロケは映画撮影のためであり、主演は中谷美紀阿部寛。著名な漫画を原作としたもので、現場(最寄駅近く)での撮影は一日、その後大田区など別の場所でもロケをするらしい。…
ロケ現場となっていたのは赤いカラー舗石が敷かれた商店街の十字路で、四つ角には喫茶店、肉屋、皮膚科医院、花屋がある。わたしと長男が遭遇したのは路上での撮影シーンだったが、その後おもに喫茶店内で撮影が行なわれたらしい。してみるとわたしたちが見た女性とは中谷美紀であったのか。本人であると気づかなければ、見たことにはあたるまいと臍をかんだ。
毎日行き帰りに通る道であり、喫茶店は言ってみれば何の変哲もない、昔から商店街にある店構えの、唇がまっ赤になるようなスパゲッティ・ナポリタンを出すといった雰囲気なのだが、よくぞ映画のスタッフはロケハンでこんな目立たぬ喫茶店に目をつけたものよと感心したのである。
ついでに言えば、帰りにその店の横を通り過ぎるとき、店のガラスの具合ゆえか、わが身の姿が斜め横の角度で反射するのが目に入るので、いつもここを通り過ぎるたび、疲れた顔をして老けてしまった自分の客観的な容貌を確認するのが癖になっている。これは決してナルシシズムなどではない。
閑話休題。その後追加情報も入ってきて、原作が業田良家の四コマ・ギャグ漫画自虐の詩であることが判明した。ふだん漫画を読まないわたしとって、初めて聞く漫画家の名前であり、タイトルである。あとで知ったことだが、この映画化で中谷美紀阿部寛が主演することについて、納得するファンはあまり多くないらしい。
その日別の場所で非常勤講師の仕事を済ませ最寄駅に戻ってきたのは20時30分すぎ。ただちに駅前の書店に立ち寄り、竹書房文庫に入っている『自虐の詩』の上*1*2巻を買ったのは言うまでもない。また、ロケ現場とおぼしき場所がなお照明で煌々と明るいことも確認したので、原作を買い込んだその足でふたたびロケ現場に駆けつけた。
そのときはちょうど喫茶店内で撮影が開始される直前で、人だかりがして、スタッフが帰宅を急ぐ人びとの流れを止めていたところだった。興味津々で喫茶店入口に注目していると、「スタート」のかけ声とともに、何かが割れる物音がし、店内から阿部寛が飛び出し、目の前の道路を横切り向かいの花屋に飛び込んだところだった。パンチパーマにだぶだぶの黒ジャージというチンピラ風。
妻がロケの野次馬をしていたときには阿部寛はまったく顔を見せず、中谷美紀しか見ることができなかったようで、わたしが帰りに阿部寛を見たという話をしたら、地団駄を踏んで悔しがり、原作本を買ってきたといったら「馬っ鹿じゃなかろうか」と呆れられたから、このミーハー勝負、最終的にわたしに軍配が上がったと言うべきだろう。
妻の話では朝5時からロケのセッティングが開始されたとのことで、わたしたちが通りかかったのは朝7時30分頃、帰りは夜の20時30分頃だから、わたしが出勤して仕事をし、非常勤勤務先で講義をし終え、疲れ果てて帰ってきたその時間まるごと、映画のロケ隊は同じ場所にいつづけたことになる。映画のスタッフも、役者さんも大変なのだ。
さて、帰宅後さっそく『自虐の詩』を読み始める。妻が小耳に挟んだ映画のタイトルはこれではないらしいのだが、内容や主演二人の雰囲気から見て、やはりこの作品の映画化に違いない。競馬パチンコ好きで自分勝手、酒を飲んでは家にあるお金をすぐに持ち出し、気にくわないことがあるとテーブルをひっくり返すイサオと、彼を一途に愛する妻幸江の物語。「くくっ」と噴き出したくなるオチの連続で、帯にある「日本一泣ける文庫」というキャッチフレーズが本当なのか訝しんでしまうほど。
読み進んで上巻の後半、さらに下巻に入ると、イサオと幸江の現在進行形の物語と平行して、幸江の少女時代、父親との二人暮らし、彼女の学校生活をふりかえる回想シーンの比重が増し、彼女の不幸な生い立ちが明らかになってゆく。もちろんそれでも笑えるシーンが多いのに違いはなく、トーンは決してシリアスとは言えない。
ラストがどうなるか、それをどう感じたのかは書かないことにする。小説や映画に比肩するほど、四コマ漫画によって人生を描ききることが可能なのだと感動をおぼえたことは確かだ。ともかく、わが町が舞台のひとつになっていることもあり、映画を観に行きたいという気持ちになった。「熊本さん」を誰が演じるのか、そして幸江がバイトする中華定食屋「あさひ屋」のマスターを誰が演じるのか、幸江の父親は誰なのか、配役が映画の出来を左右するのではあるまいか。
ところでわたしと長男のコンビは、こんなミーハー好みの現場に遭遇する確率が高い。以前も、たまたま妻の都合が悪くわたしが仕事を早く切り上げて長男を学校に迎えに行った帰り、最寄駅から家に帰る途中で、アラーキーこと荒木経惟さん一行とすれ違ったことがある。
思い返せば場所もちょうど今回のロケ現場の近くで、編集者とおぼしき連れと三人で歩く中央に、風変わりで見たことのある顔の人がいたと思ったら、アラーキーさんだった。いつもわれわれの朝の通勤路となっている路地にカメラを向け、写真を撮っていたのだが、アラーキーのまなざしであの路地を切りとれば、どんな風に違って見えるのか、できあがった写真を見てみたいと強く思った。長男に、あの人は有名な写真家なんだよと教えてあげたけれど、半信半疑だったのは仕方ないか。
たまたまあの日、あの時間に帰らなければアラーキーさんとすれ違わなかったわけで、もしこれが妻であれば別の道を通っただろうから、巡り合わせの不思議を感じないわけにはゆかない。一人でいるときにも、先日羽田空港鶴瓶さんを見かけたし、小川町では中尾彬さんとすれ違い、山形駅では由美かおるさんを発見したように、わたしには有名人の放つ独特のオーラを感じとる才能があるのかもしれない。そんな才能があっても何の役にも立たないのだが。