俳優大坂志郎とその母

わたしの酒亭・新宿「秋田」

先日の仕事帰り“地下室の古書展 vol.8”に立ち寄ったとき、前回購った本を思い出した。神成志保『わたしの酒亭・新宿「秋田」』文化出版局)である。この機会に読むことにした。
購入時にも書いたけれど(→6/5条)、本書の著者はこのところすっかり夢中になっている俳優大坂志郎さんの母親である。本書を読むきっかけになったのは“地下室の古書展”の記憶連鎖に間違いないが、いまひとつきっかけがある。先日大坂さんの主演映画「俺は犯人じゃない」を観たとき、川本三郎さんの著書『映画を見ればわかること』*1キネマ旬報社)を引っぱりだしてきて、大坂さんを論じたくだりに目を通した。ここでも川本さんが同書を取り上げている。その記憶も作用している。
地下室の古書展”で並んでいた本書に気づいたのも、もとはと言えば川本さんの一文が無意識に記憶の底に残っていたからに違いない。前々からそうだからいまさらの話ではないのだが、わたしの行動は、すっかり川本さんに支配されているといった按配である。
一般的な本書のセールスポイントは、神成志保さんが新宿に出した郷土料理屋「秋田」が、文士や各界名士のご贔屓となった「文壇居酒屋」だったという点にあるだろう。このお店は、きりたんぽなど著名な秋田の郷土料理というだけでなく、東京における郷土料理店一般の走りだったという。各界で名の知られた人々が「秋田」で飲み、酔い、議論し、時には店主志保さんに厳しく叱られるという文壇裏話、逸話を記録した本ということだ。
実際帯の裏には、次のような惹句が書かれてある。

昭和7年から46年間、酒亭「秋田」ののれんをくぐった文壇人、演劇人、学者、画家、ジャーナリストは数知れない。大正、昭和の激動の時代を背景に、酔虎、酔狂の織りなす人間模様をからめて綴った異色の居酒屋一代記。
本書には、新庄嘉彰が序文を、巖谷大四が跋文を寄せている。青野季吉谷崎精二、福田豊四郎、岩田豊雄獅子文六)、中嶋健蔵、暉峻康隆、中野重治伊藤整高見順梅崎春生坂口安吾亀井勝一郎浅見淵丸山定夫、薄田研二、藤原釜足千田是也清水将夫川島雄三中平康、小杉勇金子信雄フランキー堺西河克己阿木翁助田中澄江有吉佐和子田村泰次郎丹羽文雄清川虹子安井昌二花柳章太郎山田五十鈴桂小金治井伏鱒二三好達治などなど、文士・画家・編集者・演劇人・映画人・学者らの錚々たる面々の名前が出てくる。
だから彼らのエピソードには事欠かない。個人的にひとつ面白かったのは、山村聰佐分利信の挿話。支払いのとき、二人とも自分の小切手で支払うと言って譲らなかったところに、志保さんの娘で店を手伝っていた澪さん(大坂志郎さんの妹、のちすぐれた人形作家・陶芸家になる)が、「あたし、佐分利さんの大ファンだから、どうせ頂戴するなら佐分利さんがいい」と主張したため、佐分利信が小切手にサインして支払ったという。
わたしはつい数年前まで佐分利信山村聰の区別がつかなかったほどだが、二人の映画を多く観るにつれようやくそれぞれの大俳優としてのキャラクターを知ったいま、二人が居酒屋で酒を酌み交わし、支払いでもめている図を想像するだけで愉しい。
さて、本書はこうした文壇裏話の本として売り出されているが、実は、秋田の田舎から幼い子供二人を連れて逃げるように上京した一人の女性が、東京で苦労しながら子供を一人前の人間として育て上げ、また商売を繁盛させたという自伝的一代記としてとても面白いのである。しかも泣かせる。
秋田県の北にある鷹巣町の素封家に生まれ、教育者の父をもつ著者は、19歳で能代の大きな米問屋に嫁ぎ、一男一女、つまり志郎・澪兄妹をもうける。しかし夫は準禁治産者となるほどの放蕩息子で、芸者と別に家を持つなどまったく自宅をかえりみない日々が続く。舅と姑がほぼ同時期に亡くなったことを契機に、志保さんはほとんど着の身着のまま小学生の子供二人を連れ、東京に出てくるのである。この当時大きな商家にとって、跡取り息子(=志郎少年)を連れ去ることは大きな意味を持った。
家を捨て東京で暮らすという母の一大決心を七歳の志郎少年も察し、母を支えようとする。父を恨み母を思ういじましい幼心。彼は毎朝新聞配達をして家計を支える。親子三人肩を寄せ合って暮らす情景に目頭が熱くなった。志郎少年は中学受験に合格していたにもかかわらず、学費がないため断念、就職を決意する。その後経済的余裕のできた母が学校に通わせようとしても、妹の学校を優先すべしと、絶対に耳を貸そうとしない。
あの俳優大坂志郎はこうした境遇のなかから生まれてきたのかと思うと、なおさら今後も注目せねばと思ってしまう。大坂志郎という俳優に肩入れしすぎているゆえか、彼につい焦点を合わせて読んでしまうのだが、実際本書は、母親の目からみた俳優大坂志郎の半生記的な記録としても読み所がたくさんある。
新築地劇団佐々木孝丸の下で演劇を学び、松竹の俳優養成所に合格。吉村公三郎監督の「開戦の前夜」という作品に役がついたと母親の店に報告にやってくる。主演上原謙付きの憲兵曹長役という大きな役をもらったことを訝しむ母に、息子は理由を説明する。
映画には何度も何度も本番までに稽古があって、それもフィルムに撮るんだよ。それを見て監督さんは、ああ、こっちへもっとたくさん逃げろ、とか、この辺はもっと右へとか決めるんだ。そういうフィルムをラッシュっていうんだけれど、どうせ本番じゃないしセリフがあるわけでもない動きだけだから、練習中には別段、悲壮な顔をする必要もない。それを、僕だけが本番と変わらない顔をしていて感心と、ま、そんなわけさ。(138頁)
最後の「ま、そんなわけさ」という言葉づかいが、映画におけるモダンな都会人を演じるときの大坂さんを髣髴とさせるもので、さすが母親、息子の話し方の特徴をうまくつかんでいると言えるだろう。そんなモダンな俳優人格を持つ人が、七歳まで秋田の田舎で暮らし、東京に出てきてからも苦労した人であることに驚かされずにはいられない。
「軍事郵便」の章では、戦時中出征した志郎から母に宛てられた120通の軍事郵便のなかから、印象深いものが選ばれ、紹介されている。それを読んでも、家族思いで心優しい人柄が文章から伝わってきて、この性格に加え山あり谷ありの人生経験を積んだ人が、すぐれた俳優にならないはずはないと実感したのだった。
この本を映像化したら、きっと泣けてたまらなくなるだろう。