給料史観、あるいは2000倍にする癖

「月給百円」サラリーマン

戦前のサラリーマンの生活はどんなレベルにあったのか。物価はどのくらいで、食費はどんな程度で、貰っていた給料で足りたのかどうか。歴史のどの時代においても同じことであるが、「ごく普通の庶民」の暮らしほど、史料をもとに明らかにするのは難しい。そもそも「ごく普通の庶民」とはどの階層の人を指すのか、そんなところから考えねばならないからでもある。
近代社会の場合、「ごく普通の庶民」は、農家なのか、自営業なのか、あるいはブルーカラーなのか、ホワイトカラーなのか。それはおくとしても、現在においてもっとも多数を占めているホワイトカラーのサラリーマンの場合を歴史的にたどれば、ある程度庶民生活の像を明らかにできるかもしれない。
岩瀬彰さんの『「月給百円」サラリーマン―戦前日本の「平和」な生活』*1講談社現代新書)は、そんな視座から戦前のサラリーマンの日常生活にどのくらいのお金がかかったのか、多様な資料を調査して明らかにした興味深い本だった。
端的に言えば、書名にあるとおり、戦前サラリーマンの月給の目安となるのが、百円だったという*2。月給百円(年収千二百円)がひとつの指標となり、それが平均的な収入となる。とはいえいわゆる「中流」と見なされる指標は年収三千円だったそうで、これをクリアしていた家庭は全体の0.3%だったそうだから、そうした少数派を中流と呼んでいいのかどうかという疑問はあるにせよ、さしずめ戦前は「総下流社会」だったわけである。
具体的な数字をもとに叙述がなされているため、ごつごつして読み進めるのに難渋する。最初に当時の一円は今で言えば2000円になるという「2000倍」理論が提示されているので、出てくる金額すべてに2000をかける癖ができてしまった。月給百円といえば今は20万円、「円タク」「円本」は2000円、コーヒー一杯10銭だから200円。
大正15年の税制改正により、非課税となる所得の最低額は千二百円となったというから、大多数のサラリーマンの給料は非課税で、給料は手取りそのままだったが、そのかわり保険制度が不備であったため、退職後が大変だったというのには納得させられた。だから退職金など一時的にお金があるうちに「家作」を持って家賃収入に頼るのか。家賃収入は退職後の年金収入のようなものなのだ。
軍人の場合尉官と佐官の間に大きな溝があったとする。少佐になれば年収二千円を超えるが、尉官では千円台にとどまる。住まいについても、「中尉クラスでは間借り、大尉クラスで、連隊の裏門に近い一年中日もささない百軒長屋」という山本七平氏の言を引用している。
軍隊付現役の将校ならばともかく、軍縮により「リストラ」が敢行され、彼らリストラ軍人の受け皿だったという、各学校に派遣されたいわゆる「配属将校」の場合、夫婦と子供二人の四人家族で月給八十五円(現在で言えば17万円)という数字が紹介されている。著者はここから、生徒にいばり散らす配属将校が多かったのは、このポストが本社の花形部門から子会社の閑職に飛ばされたようなものであり、内心鬱屈を抱えた人が多かったからではないかと推測する。軍人側からも見なければ事の真相はつかみにくいのである。
安月給でプライドをずたずたにされた軍人たちの望みは、戦時に本棒に加えられた在勤加俸だったという。月給八十五円の中尉は百二十五円になった。だから戦争は終わらなかったのだという山本七平さんの逆説が紹介されている。案外的を射ているのかもしれない。さらにこの視点を拡大すれば、歴史の裏に給料(への不満)ありといった“給料史観”も可能なのかもしれない。給料に対する不満は社会を突き動かす原動力たりえたのである。

*1:ISBN:4061498584

*2:アラビア数字で100円と書いたほうがわかりやすいが、何となく安っぽく感じられるので、戦前の数値は漢数字で表わすことにする。