第84 成田詣での記

新勝寺参道

ここ数年東京での初詣はもっぱら根津神社に行くことにしている。わが家の恒例行事である。東京に移り住んだ当初は、せっかくだから参拝者数ベスト10に入っているような大きな寺社を制覇してみようという色気を出し、明治神宮や鎌倉の鶴岡八幡宮に詣でたことがある。当たり前だが、ベスト10に入るような場所であるから、たとえ三が日を外してもなお参拝客による混雑は収まらず、ひどく疲れて帰ってきたものだった。明治神宮鶴岡八幡宮の二ヶ所で懲りてしまったのである。
ちなみに初詣参拝者ベスト10とは、明治神宮成田山新勝寺、川崎大師、伏見稲荷熱田神宮住吉大社鶴岡八幡宮太宰府天満宮大宮氷川神社浅草寺だそうだ(→http://初詣.jp)。先日観た「羅生門」ではないが、ベスト10を制覇しようとするのはコレクター気質ゆえだろうし、田舎者的ミーハー精神のなせるわざなのだろう。
ところでこれも先日観た日活映画「地底の歌」では、石原裕次郎の恋人香月美奈子が、石原と対立する組のチンピラ高品格に騙されて成田まで連れてこられ、売り飛ばされてしまうのが、参道にある参拝客目当ての飲み屋だった。映画に登場する京成成田駅駅舎のたたずまいや参道の雰囲気が大寺院の門前町の風情を感じさせ、成田詣での願望をふくらませていたのだった(→9/9条)。
初詣でもいまだ訪れたことのない新勝寺詣でをいつかはと心に期していたけれど、この連休、青空が広がる外出日和であったので、急に思い立って出かけることにした。成田山新勝寺真言宗智山派(総本山智積院)の古刹であり、本尊は不動明王。歌舞伎の市川團十郎家が「成田屋」の屋号であることからもわかるように、市川家は成田山不動明王に帰依し、襲名時などの節目に参拝する習わしとなっている。市川家の「歌舞伎十八番」にも「不動」が入っている。
成田行きは急に決めたことなので、まったく予習もしなかった。自宅からは、最寄駅発のバスで京成の青砥駅に行き、そこから特急に乗って一時間弱。この程度で成田に着いてしまう。臼井から佐倉辺にかけ、車窓左手の遠くに印旛沼が見え、田園風景が広がって目を楽しませる。佐倉や成田でも都心から一時間程度で行くことができるのだから、言わば「通勤圏内」なのである。
京成成田駅を出ると、駅前は起伏が多く、ごみごみしている。人の流れを追っていくと、いかにも参道に入るといった雰囲気の朱塗りのコンクリート橋が目の前にあらわれる。橋を渡り、両側に飲食店が建ちならぶ細い道を抜けると、参道に入る。
参道はバス一台が通れる程度の道幅で、両側に歩道もなく、歩行者用の路側帯が色で塗り分けられているだけ。昔からの参道なのだろうから、ここに車を通すことがそもそも無理がある。両側には漬け物屋や煎餅屋、和菓子屋、鰻屋(川魚一般)、佃煮屋など、いかにも大寺院へ向かう参道の祝祭的雰囲気に満ちている。木造のお店が軒を連ね、それぞれ趣が感じられるから、目についたお店にふらふらと足を向けたいのだが、狭くて人通りが多いのに、けっこう車も多くて反対側に渡るのも大変だ。
しばらく歩くと下り坂にさしかかる。下り坂の途中に威風堂々たる三階建ての木造建築があり、屋根の上に櫓のようなものがのっている。大野屋旅館といい、「成田初の登録有形文化財」という看板が出ている。旅館だが参拝の行き帰りに店先で小憩もできるらしい。帰ってから調べてみると、大野屋旅館は江戸から続く老舗で、建物自体は昭和12年のものらしいが、この周辺両側に続く同様の建物群と合わせ、門前町としての風格を示す空間をかたちづくっている。
坂を下りきったところに新勝寺の総門があって(現在改修中)、そこからまた本堂まで急な階段を登っていかなければならない。境内はかなり広く、本堂左にある文久年間建立の「額堂」には、七代目團十郎の石像が鎮座し、堂内の壁や天井には信者たちによる様々な奉納額が掛けられ賑やかだ。他にも成田屋関係の記念碑があるのかもしれないが、資料も何も持たず境内を歩き回ったため、出会うことはなかった。
新勝寺の境内は「成田山公園」として整備されており、池を中心に散策道が設けられ、滝もあって、ここを歩いているとちょっとした山歩きをした気分になる。境内の至る所に、これも信者らによる奉納石碑が建立されており、不動様への信仰の広がりが実感できる。JRと京成の二つの駅は高台にあり、おそらく新勝寺の境内と尾根続きのはずなのだが、参道自体は高台から下りきって、寺へはふたたび登るという構造になっている。江戸の昔からこういうつくりだったのだろうか。
映画「地底の歌」では、参道はもっと広々としていた印象があった。これも帰宅後わかったことだが、成田駅前から新勝寺まで「成宗電気軌道」という路面電車が走っており、路線自体は昭和19年廃線になったものの、軌道跡はそのまま道路になっているとおぼしく、「電車道」と呼ばれている。映画で観たのはあるいはこちらのほう(終点の新勝寺近く)だったかもしれない。参道は総門前から右に坂道を登ってゆくのだが、もうひとつ総門前にまっすぐ伸びる幅の広い道路があって、これが軌道跡の道路だったのだ。「地底の歌」を観直し、いずれ再チャレンジをしてみたいものである。