秋の連休映画三昧

「カーテンコール」(2004年、コムストック)
監督・脚本佐々部清伊藤歩藤井隆鶴田真由奥貫薫井上堯之藤村志保津田寛治橋龍吾/夏八木勲

最近の映画をあまり観ないわたしであるが、佐々部清監督の作品には興味がある。先日触れた「出口のない海」は未見(観ようとは思わない)だけれど、2003年の「半落ち」には目頭が熱くなった(ただこれも自腹を切って観たのではなく、試写会の招待券が当たったのだった)。
今回観た「カーテンコール」も、封切り時に観たいと思った映画だったが、結局映画館に行かずじまいだったのである。
昭和30年代、地方の映画館を舞台に、映画と映画の間に形態模写や歌などで観客を楽しませた素人芸人がいた。しかし映画業界の斜陽とともに姿を消してしまう。カーテンコール [DVD]
福岡のタウン誌の編集者伊藤歩が、下関の映画館にいたそんな芸人の調査を求めた投書をもとに、彼の足跡を追いかけてゆくというストーリー。ここまでの筋はだいたい知っていたのだが、そこから在日朝鮮人の問題につながってゆくことは予想外だった。
昭和30年代黄金期の日本映画に対するオマージュとして秀逸な作品である。藤井隆が幕間に歌を披露するが、かかっている映画が「いつでも夢を」「下町の太陽」「網走番外地」「キューポラのある町」「男はつらいよ」など。映画館で上映されたスクリーンにおいて間接的に映し出されたこれら作品群の一部を観ただけで高揚感を持ってしまうのも、スクリーンの魔力なのかもしれない。
伊藤歩という女優さんの存在感が気になりだした。藤井隆のその後を演じた井上堯之の素朴でペーソスのあるたたずまいがいい。別れ別れとなった親子の物語というだけで胸が熱くなってしまうのだった。

「ろくでなし稼業」(1961年、日活)
監督斎藤武市/脚本山内亮一・槇槇兵/宍戸錠二谷英明金子信雄小沢栄太郎南田洋子吉永小百合/山田禅二/沢本忠雄

「アクション・コメディ」として、この映画の評価は非常に高い。たとえば渡辺武信さんは『日活アクションの華麗な世界』*1未来社)のなかで、足かけ4ページにわたり本作品を評す。コミカルな側面を初めて打ち出し、宍戸錠のオーバーアクションをうまく支える「受けの演技」に徹した二谷英明や、敵役金子信雄とその部下たちのコミカルな存在感、斎藤監督の演出の妙など、賛辞が連なる。『日本のアクション映画』*2(現代教養文庫)を書いた西脇英夫さんも同様である。
小林信彦さんも、「用心棒稼業」「助っ人稼業」と続く三部作のなかで、もっとも本作品を評価する(「戦後日本映画史の狂い咲き」、ちくま文庫『映画を夢みて』*3所収)。
それまでアクション・コメディに消極的だった日活幹部が、初めてこの価値に気づき、前面に押し出す決意をしたのが二作目の「用心棒稼業」であり、意識的に制作された「助っ人稼業」は逆に失敗作に終わったとして、別の文章ではこう断言する。

そして、「ろくでなし稼業」はヒットしたが、日活の黄金時代はここで終るのだ。当時の関係者ならそう実感したはずだ。ノスタルジックな見方ならともかく、あとの日活は余生であった。(太字は原文傍点。「赤木の死んだ朝」、ちくま文庫『コラムは踊る』*4所収)
自分の眼で見たものしか信用しないという“実感派”小林信彦さんの面目躍如たる指摘だろう。現在のわたしたちは、日活プログラム・ピクチャーの流れからまったく切り離されたかたちで本作品を観るわけだが、このような実感をつかむことは決してできない。
さてわたしはどうだったかと言えば、こうした先人の高評価に期待を抱きすぎたためか、すこぶる面白いという感想は持ちえなかった。もちろん二谷英明が保険会社に乗り込む場面や、アクション・シーンで突然バックにツケが入り、宍戸錠がそれに合わせ見得をするシーンなどの面白さに「アクション・コメディ」としてのレベルの高さを感じとり、大いに笑ったのだが、全体としてワクワクしながら最後まで観通したかと言えば、必ずしもそうとは言えない。
これは自宅で観たために集中力が欠如していたということとも関係しよう。先日フィルムセンターでの日活アクション映画特集で見逃したのはつくづく痛かった。いずれスクリーンで再見したい作品である。
ろくでなし稼業 [VHS]

ろくでなし稼業 [VHS]

  • ニッポン歌謡映画パラダイス@衛星劇場(録画DVD)
「下町の太陽」(1960年、松竹)
監督・脚本山田洋次/脚本不破三雄・熊谷勲/倍賞千恵子勝呂誉/早川保/待田京介藤原釜足/武智豊子/東野英治郎加藤嘉/葵京子/水科慶子/石川進菅井きん左卜全

「カーテンコール」のなかの「劇中映画」として、上映されていたうちの一本がこの「下町の太陽」だ。倍賞千恵子が荒川の土手を歩きながら同名の主題歌を唄う。この曲が大ヒットしてレコード大賞新人賞を受賞したため、翌年それに合わせて作られたのがこの映画なのだという。唄が先にあったのだ。下町の太陽 [DVD]
「カーテンコール」でわずかに流されたこの場面と、倍賞千恵子の唄の印象がとても強く、録画したまま長く未見でいた本作品を観る動機となった。ケーブルテレビ導入直後に、お試し期間として観ることができた「衛星劇場」で流されていたものをDVDに録画していたのである。
この作品は川本三郎さんの『銀幕の東京』*5中公新書)の第一部「東京の映画」のなかでも取り上げられている一本だ。ここにある映画もまた、わたしにとって埋めるべきラインナップとなっており、13本あるうち、この「下町の太陽」でちょうど10本目となる(残りは「東京物語」「東京湾」「銀座の恋の物語」)。
曳舟の石鹸工場で働く工員たちの物語。職場の同僚倍賞千恵子と恋人の早川保は、早川が「社員試験」に合格し、晴れて正社員となって銀座(?)の本社に行くことを夢みている。早川は試験に合格したら結婚を申し込むと倍賞に告げる。
下町(川本さんによれば現在の八広あたり)に住む倍賞は、父(藤原釜足)と祖母(武智豊子)と弟二人の五人家族。この下町の日常生活を描いた場面が好きだ。町内の空いた場所に、時間を持てあました老人たちが集まり、噂話はすぐに広まる。自動車事故で孫を失った東野英治郎は精神を病んでおり、孫を探しながらあたりを徘徊する。
恋人の早川はブルーカラーで下町長屋での生活を脱し、ホワイトカラーの団地生活を夢想する。下町の長屋と対比されるのが、倍賞の友人が結婚して入った光が丘の団地。倍賞らは団地生活に憧れを持つ。
しかしそんな倍賞千恵子も、粗野で温かみのある鉄工場の工員勝呂誉に出会ったことをきっかけに、上昇志向を持つことや、女性は結婚したら家庭に入ってしまうことに疑問を持つようになる。
東京オリンピック直前に作られたこの作品、当時誰もが抱いていたとおぼしい強烈な上昇志向を揶揄した内容となっているが、これを当今はやりの「格差社会」論と結びつけたらどうなるのか、観ながらそんなことを考えてしまった。
「カーテンコール」で印象に残った倍賞千恵子の唄の場面は、意外にも映画の序盤に登場する。歌謡映画らしい高揚感がある名場面だが、序盤ということで、この場面を観て爽快な気分で観終えるということにならないのが残念といえば残念である。