羽織袴の柳田国男

すばる歌仙

丸谷才一大岡信岡野弘彦『すばる歌仙』*1集英社)を読み終えた。
丸谷・大岡両氏が連衆となった歌仙については、去年『とくとく歌仙』(集英社、→2005/10/6条)を読み、その魅力を知った。本書には「神の留守の巻」「花の大路の巻」「葛のはなの巻」「二度の雪の巻」「こんにやくの巻」「果樹園の巻」「夏芝居の巻」以上七巻が収められ、最初の「神の留守の巻」のみ丸谷・大岡の両吟で、残りは歌人岡野さんを加えた三吟となっている。
岡野さんは折口信夫最晩年の弟子として可愛がられた方だそうで、歌仙後の解説鼎談にあたる「歌仙の世界」でも、それらの体験が披露されている。

丸谷 岡野さんは、折口さんと時々、歌仙を巻いたわけでしょう。
岡野 回数は少ないですけどね。柳田国男先生と連句を巻く旅に行くでしょう。なかなか仲間に入れてもらえないんです。初めは。
丸谷 それはね。
岡野 格が違う。池田弥三郎戸板康二なんて人と行くときには、「岡野も入れてやろう」と言ってくれるわけですけどね。
大岡 なるほど。
丸谷 いい顔ぶれだな。岡野さんの号は、折口先生がおつけになったんですか。(118頁)
折口信夫が戸板さんたちと巻いた歌仙なんて、記録として残されているのだろうか。ふじたさん(id:foujita)あたりがもしご存じであれば教えていただきたいものである。
岡野さんが入れてもらえない、格の高い歌仙の場合、柳田国男折口信夫・加藤守雄といった面々が高浜虚子にところに「討ち入りみたいに」巻きに行ったというエピソードが面白い。そういうときの柳田のいでたちは紋付と袴で、本当に討ち入りに行くような雰囲気だったという。
岡野 いつもそうです。柳田先生っていう人は。ちょっとあらたまったときには、千両役者みたいなもんですよ。ステッキをちゃっと斜に構えて、格好がいい。
 それで、草履に足を入れる。すらりと入らないわけですね。そうすると、折口先生がすっと手を伸ばして、足を滑り込ませるんです、草履に。それが本当に自然なんですよ。(後略)(120頁)
今回の『すばる歌仙』では、連句よりもこんな挿話の印象が強く残ってしまった。
岡野さんは歌人だけあって、連句にも和歌的な世界が入る。ただ、それ以上に、現実的な自分の体験をうまく句に反映させている点に感じ入った。前の句で読まれた風景、シチュエーションを想像しながら、寄り添いすぎず、でもその世界をうまく受け止めるような付句を出さねばならない。前の句のシチュエーションを物語化して、そこに連なる別の世界を示すとき、自分の体験をうまく按配される。文学的素養だけでなく、人生経験や自伝的記憶を挿話的にアレンジする能力も求められる。
「隣る小部屋に歯ぎしりしげき」という大岡さんの七七を受け、岡野さんは「なじみたる医者のゆくへは知れずなり」と五七五を付ける。その背景には、四十年かかっていた歯医者さんがやめてしまったという体験がある。
「車買ひ刀のやうな名をつける」という丸谷さんの五七五に対し、「土佐の男の骨の硬さよ」と受ける。父親がある時期紀州犬に凝って、戦時中飼っていた犬にヒットラームッソリーニから名前を借りて「ヒッツ」「ムッツ」という名前を付けていたという記憶をひっぱりだす。そして車に○○丸といった刀のような名前を付ける人といえば…と想像をめぐらせ、坂本龍馬の像が浮かび、「土佐の男の…」という句に結実する。あっと意表をつく付け句の背景には、こんな記憶のひねりが隠されていた。
『すばる歌仙』の三人は、小説家・詩人・歌人である。みな生業が違う。そこにこそ魅力があると丸谷さんは指摘する。
蕉門の俳人たちにしても、彼らは我々から見れば皆、俳人なわけだけれど、純粋の俳人というのは数が少なくて、ほかは呉服屋の番頭だとか、侍だとか、いろいろ職業が違って、その業種の違いが、ああいうオーケストレーションを生み出したんじゃないのかしらね。(195頁)
わたしもいつの日か、まったく職業が違う人たちと歌仙というものを巻いてみたいと思うようになった。