映画の民俗学へ向かって

日本映画を歩く

川本三郎さんの『日本映画を歩く―ロケ地を訪ねて』*1JTB出版)が中公文庫に入った*2ので、さっそくこの文庫版を再読した*3
本書は川本さんの著作群のなかでも、とびきり魅力的な散歩・紀行文集(『ちょっとそこまで』『火の見櫓の上の海』『東京の空の下、今日も町歩き』『我もまた渚を枕』『旅先でビール』など)と、これまた素敵に面白い古い日本映画に関する評論・エッセイ集(『今ひとたびの戦後日本映画』『君美わしく』『銀幕の東京』『映画の昭和雑貨店』など)が高度に融合した内容と言って過言でないだろう。その意味では代表作のひとつに挙げることができるかもしれない。
近著のタイトル『旅先でビール』とはよくぞ名づけたもので、川本紀行文を読む愉しさは、いろいろなところを歩き回ったすえの夜の一盞の文章にある。川本さんは、観光客目当てでなく、地元の人たちが愛するような、駅前やごく普通の商店街にあるカウンター主体の定食屋や居酒屋にあたりをつける。カウンター主体なのは、一人客を大事にするということ。そこでお店おすすめの料理などを聞き出し、ビールや燗で一杯。旅の疲れを癒す。
たとえば本書『日本映画を歩く』での「旅先でビール」の場面。

東京駅でビールを買いこみ、それを飲みながら文庫本の時代小説を読むうちに眠ってしまった。(9頁)
ようやく駅前のバス乗り場の近くに小体な居酒屋を見つけた。小さな神社の傍にあってその名も「境内」。ここがよかった。テーブルは二つほどしかない。客は私一人。おかみさんが一人でやっている。ビールを頼む。肴に何にしようかと思っていると、ちょうど魚売りのおばさんが「時候がようなったのう」といいながらシャコを運んできた。それをゆでてもらって塩を振ってしゃぶる。ビールによく合う。(14頁)
カウンターに座ってビールを頼む。ガラスケースのなかに見慣れぬ魚がある。ウツボだという。食いついたら人間の指もくいちぎるあの海のギャングをこのあたりではフライにしたり焼いたりして食べるそうだ。早速ウツボの干物を焼いてもらう。香ばしい。(147頁)
引用もそろそろいい加減にしよう。「旅先でビール」の名場面はまだまだたくさんあって、そのどれも、読むとビールを飲みたくさせられるのである。これは以前単行本を読んだときにも感じ、他の紀行文を読んだときにもやはり同じだった。「旅先でビール」系の川本エッセイを読むたび、同じ感想を書いているような気がする。
以前単行本を読んだときには、川本さんと地元の人びととのやりとりに注目した(旧読前読後2002/11/19条)。時間の流れの早い都会では忘れられてしまっている黄金時代昭和30年代の映画の記憶が、映画がロケされた地元ではいまだ根強く残っている。ロケを目撃した人もまだ多くが存命で、川本さんが「昔ここで映画の…」と問いかけるやいなや、最後まで言う前にその映画のタイトルが口から出て、ここでロケされたとか、自分の目撃談を話してくれるのである。
今回文庫版をあらためて読んで思ったのは、川本さんによる黄金時代日本映画ロケ現場の探訪は、もはや一種の民俗学的聞き書になっているのではないかということ。昭和30年代と言えば1960年前後のこと。いまからすでに40年前の話である。時間が経つにつれ、ロケのことを知っている人は少なくなってゆく。
地元に残るロケの記憶が消える前に、川本さんは丹念にそれを拾い集めようとする。その発言が積もり積もれば日本映画史の貴重な資料となるだろう。ロケ現場の記憶が30年40年経ってなお受け継がれていることを明らかにすること自体、「黄金時代」が当時の日本人に与えたインパクトの大きさを示すことにほかならない。社会学でもあろうし、やはりこれは民俗学の域に近づいている。
もちろんあくまで力を抜いて、本書をビールに誘う本であると言い表してもかまわない。でもちょっと気張って存在意義などを考えてみるならば、「映画の民俗学」の入り口に立った本と言っていいのではあるまいか。

*1:ISBN:4533030661

*2:ISBN:4122047277

*3:文庫版は元版を再編集したとあるが、元版と比べると、収録されている写真に異同がある。文庫版で新たに収録された今年に入ってからの現地写真もあれば、文庫版では除外された写真(おもに映画のスチール)があり、元版も捨てがたい