不思議な組織松竹

人間ぱあてい

先日の山形帰省で、ようやく高橋治さんの『人間ぱあてい』*1講談社文庫)を入手した。本書は夕刊フジ連載エッセイをまとめた本である(→2005/12/22条)。
文庫になっていながら、なかなか出会うことができなかった。夕刊フジ連載未入手本のなかでも、このところ欲求度が最も高かったうちの一冊なので、ブックオフで見つけたときは久しぶりに興奮した。ここ半年以上にわたり、ブックオフを訪れるたびに文庫棚の「た」コーナーか著者別高橋治コーナーをもっとも凝視し、白と水色のツートンカラーを探したのだった。たいてい目に飛び込むのは高橋さんの他の著作か、同じ色の武豊の著作ばかりで、目当てのものはさっぱり見つからない。
ネット古書店で検索すれば、単行本も文庫本も容易に入手できる。でも最近ネットでの古書購入すら面倒になりつつあり、割高なうえ、たいていネットで購入すると、ほどなく古本屋やブックオフであっさり見つかるという“古本マーフィの法則”現象をこうむるので、買い控えていたのだった。それが今回逆にいい方向にはたらいた。
夕刊フジ連載本であるという事情で漫然と探求本に入れていた本書を積極的に探す気になったのは、高橋さんの松竹映画監督時代の思い出が書かれてあることを何かで知ったからだったと記憶する。ただそれが何の本だったのか、すっかり忘れてしまった。
本書は高橋さんが金沢の四高(現金沢大)で学んでいた学生時代から、東大・松竹を経、物書きとして直木賞を受賞し、作家としての地位を確立した当時(連載は1986-87年)まで、人生のさまざまな局面で出会った人びとを回想する内容のエッセイ集である。大半はお世話になった人の話であるが、その他「許せない男」など、そりが合わなかった人との凄絶な思い出話も含まれている。人との関わりを通して書かれた半自伝的エッセイ集と言えるだろう。
最初の章が岸惠子小林正樹監督「三つの愛」に助監督としてついていたとき、出演していた岸惠子と対立して、以来反目し合うようになった二人が、阿川弘之原作「雲の墓標」の映画化をきっかけに仲直りをするというドラマチックな交友の経緯が綴られている。「雲の墓標」では高橋さんは脚本を執筆していたという。
以前松島利行『風雲映画城』(文藝春秋、→6/26条)を読んで感じたことでもあるが、松竹という映画会社の組織のあり方が実に興味深い。
松島さんの本を読んだときには、助監督採用は助監督自らが試験を行なうという点が面白かった。助監督の自治性、自律性を重んじていたわけである。助監督から監督へのハードルは高く、競争も激しい。当然その裏側には、嫉妬や誹謗中傷が渦巻く。
本書を読んでさらに興味深く感じられたのは、矛盾するようだが、松竹の監督は松竹社員ではないのだということである。助監督が監督に「昇進」するさい、退職金をもらって松竹を退社し、あらためて会社と年何本・いくらという契約を結ぶのだという。社員という身分保障のない背水の陣で作品を撮り続けることになる。もっともクリエイターとしてはごく当然の立場なのかもしれない。
松竹の社員でないとはいえ、監督となれば大船監督会のメンバーに自動的になるから、撮影所内の監督室フロアに一室あてがわれ、それなりの発言権を持つ。松竹の場合一本単位の契約料とは別に、月給のような月保証(一般企業の部長級の給与に相当したという)と、契約解除になったとき、失業手当のようにその後一年間の保証金をもらえたようであり、これは小津安二郎が先頭に立って獲得した松竹監督の特権であったらしい。ますます松竹の撮影所システムに関心を持ってきた。
高橋さんは「松竹ヌーベルヴァーグ」を担う一人だったこともあってか、頑固で偏屈で反骨の人であり、人によっては傲岸不遜と受けとめられたらしい。本書の記述にもその反骨精神、つむじ曲がりの頑固さがにじみ出る。そうした高橋さんを可愛がった先輩同輩上司も多く、高橋さんが恩を感じる人たちの言葉には印象深いものが多い。
前述の「雲の墓標」を師にあたる堀内真直監督が撮るにあたり、助監督(脚本)を勤めた高橋さんは、予算の差配という重要な立場を任された。その際経理担当重役との折衝で、予算を多めに見積もって要望し、我を通して獲得することができた。重役から使い切れなかったときはどうすると問われ、返答に詰まった高橋さんに、頭でも剃ってもらおうかと追い打ちをかけられる。
はたして予算は、高橋さんが水増し請求した分だけ余ってしまう。頭を五分刈りにして重役に詫びにいった高橋さんも潔いけれど、それに対する重役の言葉も重みがある。

この世界じゃな、予算に足を出すのもひとつの自己主張になる。よく覚えとけよ。(148頁)
昨日の『同級生交歓』ではないが、本書では東大時代に机を並べて講義を受け、以来深い付き合いになった友人として、サイデンステッカー氏があげられ、彼について比較的多くの紙数が割かれている。高橋治さんとサイデンステッカーさんという組み合わせにも、ある種の人間関係の不思議さ、昨日の言葉で言えば爽快さを感じざるをえない。
二人の出会いから交遊、高橋さんがサイデンステッカーさんにいかにして日本語や日本文化を教えていったのかという挿話はとても面白い。本書の最後に、「人との出会いを大事に」と読者に語りかける言葉が空々しく聞こえないのも、サイデンステッカーさんとの交遊に代表される、精彩に富んだ「出会い」のエピソードの数々が明かされるゆえである。