狐の正体

〈狐〉が選んだ入門書

びっくりしたなあ。
書店の新書新刊コーナーに並んでいた山村修『〈狐〉が選んだ入門書』*1ちくま新書)に反応してしまった。〈狐〉という箇所に。このヤマ括弧部分に反応する人は、わたしと同じように本好き読書好きに違いなく、でも多数派とは言えないかもしれない。
〈狐〉と言えば『日刊ゲンダイ』での書評で有名な書評家で、これまでその素性が明らかでなかった。だからヤマ括弧付きの「狐」を書名に見つけ、反応し、即座にその関連を推測してしまったのは言うまでもない。
とはいえ、先年文庫で読めるようになった『水曜日は狐の書評』*2ちくま文庫)を買いはしたものの、読もう読もうと思いながらいまだ果たせず、単行本も買ったことがないから、〈狐〉氏の書評にどのような特徴があるのか説明することができない。覆面書評家として有名ということしか知らないのだ。いま山形の実家でこれを書いており、手元に『水曜日は狐の書評』を参照できない。つまりいかにも読んだことがあるような知ったかぶりをしてごまかすことができないから、このさい正直に告白するしかないのである。
ではなぜ『〈狐〉が選んだ入門書』に接して驚いたのか。〈狐〉の書評を読んだことがない者が、驚くという身ぶりを示すのはおかしいかもしれない。わたしが驚いたのは〈狐〉氏の素性が明らかになったことより、山村修さんが〈狐〉だったということにあると言ったほうがいいかもしれない。
山村さんといえば、以前その本名で文庫に入った『気晴らしの発見』*3新潮文庫、→2004/3/9条)を読み、ストレスによる悩みを抱え、それを主体的に解消しようと努力する姿に共感をおぼえたその著者ではないか。〈狐〉としての文章に興味を持ちつつ未読のままだったけれど、本名の著書をそれと知らずに面白く読んでいたことに意表をつかれてしまったのだった。
本書は読書家として山村さんがこれまで出会った「入門書」25冊がジャンルごとに取り上げられ、その魅力が紹介されている。ジャンルは文章の書き方、古典の読み方、歴史、思想史、絵の見方などにわたる。ある程度本に親しむようになると、かえって入門書のたぐいは敬遠しがちになってしまうが、本書はすぐれた入門書にこそ大きな魅力が隠されているという逆説を打ち出し、読者をして納得させることに成功している。
取り上げられている入門書のうち読んだことがあるのは、辻惟雄『奇想の系譜』、内藤湖南『日本文化史研究』(一部)のみだが、これ以外にも読んでみたくなったのがいくつか出てきた。入門書に対する関心が芽生えた以上に惹かれたのは、山村さんの文体である。簡潔ながら言葉を選んでさまざまな表現で入門書の魅力を解説する文体は、安東次男・丸谷才一向井敏といった手練れの文章家の系譜にある人であることを確信した。
本書で一番最初に取り上げられているのは、武藤康史『国語辞典の名語釈』だが、武藤さんの文章を山村さんは次のように評している。

ゆたかな学殖のためでしょう。どんなにみじかい一文にも、かならず創見がふくまれている。あえて古めかしいことばやいいまわしを忍びこませ、それを厭みでなく、かえって新鮮に、おもしろくひびかせる。武藤康史は学殖のひと、文章のひとです。(16頁)
この評言は著者自身にもおおよそ当てはまるのではあるまいか。このような文体に対して憧れ、そうと嗅ぎ分けるところまではできるのだけれど、身につけることができないのは悲しい。この文体で書かれた書評を読みたくなってきたのは言うまでもない。