現代日本人の「お約束」

「お約束」考現学

泉麻人さんの文庫新刊『「お約束」考現学*1(SB文庫)を読み終えた。
本書の言う「お約束」とは、生活のさまざまな場面において、わたしたち現代の日本人が無意識にとってしまう行動や口から出る言葉づかいといった「お決まりのパターン」のことである。誰でもいずれかは心当たりがありそうな、思わずうなずいてしまう、「あるある」とつい笑ってしまう生活習慣や行動パターンが30の局面にわたって鋭く切り出されている。
いまさら言うのも愚かだが、泉さんは、「あるある」と深くうなずいてしまうような、日本人一般に共通した、最大公約数的な行動パターンを見抜いて文章に表現するのが実に巧みである。お酒の場で「こういうことって、よくあるよねえ」といった話題で盛り上がることがあって、本書のネタもそのたぐいが多いのだが、それが通俗的にならないのはどういうわけか。
あらゆる局面での「お約束」を抽出せずにはいられない好奇心と、「お約束」の細部までえぐり出そうとする観察力に、自分もそうしているに違いないはずなのに、客観的に構えて表現しようとする自己犠牲が本書を支えているのだろう。ここまで「お約束」を細かく再現しようとすると、自分もやっていることだから照れが入ってしまい、筆が鈍りそうなところをあえて踏み込んで書く。「考現学」の本として、21世紀初頭の日本人の「妙な」行動パターンを記録した資料と認められるだろう。
「1 〝交通ルート〟の話題」では、久しぶりに催された同窓会で、まだ共通の話題が見つからないときに話題になることが多い「交通ルート」(家がどこで、何線を使って通勤するのか)の話が取り上げられている。「会話が沈滞したときに、なかなかもつネタなのである」というのはまさに同感だ。
泉さんの本が面白いのはここで終わらないこと。「あるある」と明るくうなずかせたあとに、ちょっぴりダークな面も付け加えずにはおかない。この交通ルート談義は、あくまで沈滞した座の場つなぎであって、宴席がハネた後まで引きずってはいけないと言うのだ。
酒席での交通ルート談義で話したルートではない駅の方向に歩こうとすると、同じルートであることを確認していた人から「途中まで一緒に帰ろう」と誘われる。しかしあまりソリが合わない人と一緒に帰るよりは、別のルートを使って一人文庫本をのんびり読みながら家路につきたいと思っていたという例。身に覚えがある人も多いはず。
そのほか最後の「30 カラオケの罠」なども、しびれるほど細かくカラオケボックスでの「あるある」事象を丹念に陽の目にさらそうとする。最初に時間を「一時間半」と告げ、30分ずつ延長してゆく心理、ウーロンハイをオーダーしたくなる心理、酔っぱらってマイクを落としたとき響き渡る「ボヨヨォ〜ン」という雑音に退廃的な気分をかぎとる心理、数字を間違って入れてしまい「北海みれん舟」といったわけのわからぬ演歌が出てきてしまうこと、トイレに行ったときに他の部屋の様子をのぞき見たり、何を唄っているのか聞き耳を立てたりする心理。
「そんなことしないよ」と、泉さんが切り取ってくる「お約束」を全否定する人は、もはや日本人ではないと言えよう。