対照的な香川京子と久我美子

「女であること」(1958年、東京映画)
監督川島雄三/原作川端康成/脚本田中澄江井手俊郎川島雄三森雅之原節子久我美子香川京子三橋達也芦田伸介/太刀川洋一/中北千枝子石浜朗丹阿弥谷津子南美江菅井きん

週末実家で法事があるため前日入りすることにした。平日ゆえ年休をとったが、新幹線に乗るのは夕方なのでそれまでがもったいない。せっかくだからラピュタ阿佐ヶ谷に映画を観に行くことにした。まだ「銀幕の東京」の特集続行中で、始まった頃「セクシー地帯」や「男ありき」を観たのが遠い昔のようだ。たかだか一ヶ月前なのに。
平日の昼間ラピュタで映画を観るのはたぶん初めてかもしれない。平日昼間のラピュタにはどんな人たちが映画を観に来るのだろう。あまりいないだろうなあと予想して行ってみると、意外や意外、けっこういる。だいたいいつもこの程度なのか、今日たまたま川島雄三監督作品だからなのか。梅雨明けと言ってもいい、うだるような真夏の暑さのなか、みんな汗水流して働いている平日の昼間に映画を観るという背徳的な気分にひたりながら、川島映画を観た。
川島雄三作品に出る原節子は珍しいのではあるまいか(ひょっとしてこれ一本?)。原節子森雅之の夫婦の組み合わせも珍しいような気がする。森雅之は弁護士で、多摩川沿いにある閑雅なお屋敷に住んでいる。この家は斜面を利用して建てられており、玄関が二階にあり、森の書斎や夫婦の居住空間は階段を下りてゆくという珍しい構造。そのうえ茶室のような離れもある。家から見下ろすと視界に入る多摩川の橋梁は、観る人が観れば特定できるはずだ。どのあたりなのだろう。中北千枝子はこの家のお手伝いさん役。いかにもというはまり役なのだが、貫禄(落ち着き、余裕)がありすぎる感なきにしもあらず。
森は自分が再審弁護を担当している死刑囚(殺人犯)の娘を引き取って暮らしている。それが香川京子(やっぱりかわいい)。小鳥を飼うのが好きというおとなしくしとやかな女性で、父が殺人犯という呵責を背負って生きている。時々小菅拘置所に接見におもむく。当時の小菅は堀割のような細い川に架かる人一人通れるかのような木橋を渡って入っている。実際の拘置所でロケしていたのであれば、現在のどのあたりにあたるのだろう。まさかあの川がいまの綾瀬川ではないだろう。
その家庭に原節子の友人の娘である久我美子が家出して飛び込んでくる。久我は明るくて快活、何でも率直に表現する大阪娘。ともすればがさつな性格で、その明るさがまわりの人間の重荷になってしまうほど。東京に来て泊まっているのが東京ステーションホテルであり、彼女の部屋は東京駅の構内ドームに面し、窓を開ければ構内行き交う人々を上から見下ろすことができる。
映画は同じような年かさでありながら、性格が正反対の美女二人を軸に展開する。そこに森・原夫婦のぎくしゃくした関係が絡んでくる。原にはかつて関係のあった男性(三橋達也)がいて、ある日彼と出会ってしまうことから原の心に波風が立つ。三橋達也はこの同じ年に例の「『夜の牙』事件」があり日活を離れたはずで、この映画は日活を離れてまもない時期の出演映画なのかもしれない。ダブルのスーツがよく似合う紳士で、彼自身の趣味なのだろう、クレー射撃の場面が出てくる。
迂闊にも、最後のほうウトウトと居眠りしてしまい、原と三橋の関係がどうなったのか、一度森の家を出て恋人石浜朗の下宿に身を寄せた香川京子が戻ってきたいきさつ(香川と石浜の恋のゆくえ)、久我美子が森の家を出て大阪に帰ってゆくきっかけなど、大事な場面を観逃してしまった。残念。
久我美子森雅之も大好きで、原節子も大好きで(原節子久我美子のキスシーンもある!)、おとなしい香川京子との間で嫉妬もからんだすえに嫌いとの間で感情が揺れるような、複雑な乙女心の起伏を見事に演じている。久我美子の出演映画は意外に観ていないが、たぶんこういう活発な役柄は珍しいのではあるまいか。