珍味を食べたい

ごくらくちんみ

杉浦日向子さんの掌編小説集『ごくらくちんみ』*1新潮文庫)を読み終えた。解説の松田哲夫さんによれば、本書は杉浦さん最後の本にあたるという。
そもそもこの本(の元版)の存在を知ったのも松田哲夫さん経由である。「王様のブランチ」の本のコーナーで本書を絶賛していたのを憶えている。杉浦さん没後のこと(亡くなったのは昨年7月)かと思っていたら、出た直後、2004年10月のことだという。わずか2年足らずで文庫に入ったわけだ。
本書は「ちんみ」(珍味)にまつわる掌編小説68篇が収められている。一篇1300字だそうで、文庫版で3頁。珍味を賞味する人たちの風景をほんの一瞬切り取ったという風情だから、長々しい状況説明はなく、いきなりその場面が提示される。珍味を味わう人同士の会話や挙措動作を読みながら、3頁のうちに状況を理解しなければならない。もっともそう無理して理解する必要もないかもしれない。珍味を肴にうまい酒を呑んで、ほっぺたを落として喜ぶ様子に共感できれば、それで十分。
「さなぎ」や「虫の味」「もうかの星」など悪食めいた食べ物もあれば、「からすみ」や「キャビア」、「きもやき」などの庶民には滅多に口にできないものもある。共通するのはいずれも酒の肴にして最適ということか。「くろまめ」や「きんつば」、「瓶詰チェリー」など、甘味に属するのではないかという食品すら、杉浦さんの文章の魔力によって恰好の酒の肴と化してしまう。
そしてどの珍味も、満腹になるほど大量に食べるものではない。「そばみそ」のように箸の先にちょっと付けて嘗めながら酒を呑んだり、「たてがみさしみ」のように舌に載せて脂がとけてゆく具合をゆっくり楽しんだり。それゆえか、小説の主人公には女性の単身者が多いような気がする。
旅先やデパ地下で仕入れ冷蔵庫に入れたままだった珍味をがさごそと探しだし、酒の肴にして一人(あるいは友人、恋人と)味わい、極楽気分にひたる。とにかく胃に食べ物が収まればいい式のがつがつと大盛定食を食べる男とは無縁の世界。もっとも「きんざんじみそ」のように、炊きたてのご飯にのっけてお椀三杯の飯を食べるなんて羨ましき風景もないわけではない。
「こんな食べ物があったのか」と驚かされることかぎりなし。鮭の皮をあぶって囓り、鮭の頭の骨にある軟骨を膾にした氷頭膾を食す。

皮を炙ると、くるくるゴザのように丸まる。それを輪切りにして、「うざく」風にキュウリと和えるのが上品だが、スティック状のまま、つまんで囓るのが、贅沢でうれしい。香ばしく、じゅわっと脂がほとばしる。熱々燗が、口一杯にどんと直球で飛び込む。ホールインワンの快感。そして、氷頭膾でクールダウン。骨と皮、酒。なんて民族なんだろうね。(「ほねとかわ」)
思わずごくりと唾を飲み込みながら、杉浦さんが喜びを噛みしめながら「なんて民族なんだろうね」と呆れたその民族に生まれたことを感謝せずにはいられなくなる。
この本とは関係なく、先日自宅近くの99ショップでパックの径山寺味噌(もどき)を求め、熱々のご飯にのせてその甘しょっぱい味を楽しんでいたのは偶然にしてもできすぎている。「麹の甘い香り、しっとりした大豆。瓜、茄子、生姜、紫蘇が漬け込んである」(「きんざんじみそ」)という一端はたしかに99円からも伝わるけれど、たぶん本場物はもっと美味いのだろうなあ。子どもたちはパン食のほうを好むのだが、明日の朝はご飯にしてもらって径山寺味噌をのっけて食べよう。蒸し暑い一日をやり過ごす活力の源になるだろう。