火曜日はミステリ映画

  • 角川恐怖劇場@HORROR TV(録画DVD)
「パレットナイフの殺人」(1946年、大映
監督久松静児/原作江戸川乱歩/脚本高岩肇/宇佐美諄/植村謙二郎/小柴幹治/小牧由紀子/西條秀子/平井岐代子/花布辰男

スカパーの番組案内誌の7月号をパラパラめくっていたら、魅力的な映画のタイトルが目に飛び込んできた。@HORROR TVというチャンネルで「パレットナイフの殺人」「蝶々失踪事件」「幽霊塔」をやるというのである。「角川恐怖劇場」と銘打ち、角川映画(旧大映映画のことか)の名作・古典を流すシリーズで、ちょうど今月から始まるらしい。
横溝正史の由利博士物『蝶々殺人事件』が原作の「蝶々失踪事件」や乱歩(さらに遡れば黒岩涙香)原作の「幽霊塔」という映画の存在は知らなかったが、「パレットナイフの殺人」なら聞いたことがある。乱歩の名作「心理試験」の映画化で、この映画について書かれた乱歩の文章を昔読んだ記憶があるからだ。
さっそくケーブルテレビを通してホラーTVの視聴申し込みをした。月980円。年をとって心臓に不安が出てくるにつれ、ホラー映画を好むこともなくなっている。だからこのチャンネルでは「角川恐怖劇場」以外心を動かされる番組はほとんどないけれど*1、映画3本で980円なら、まあいいだろう。
さて「パレットナイフの殺人」だが、前半は三角関係の愛憎劇で、後半から「心理試験」の趣向を取り入れた犯人と捜査側の駆け引きに移る。
そもそも原作と異なり、時代設定が昭和19年秋から始まる。応召を拒否し(そんなことできるのだろうか)絵かきを続けている植村謙二郎*2は、その廉で憲兵(小柴幹治)に逮捕されてしまう。植村は夫が満州に渡ってお国のために仕事をしている家の人妻(小牧由紀子)をモデルに絵を描いており、植村を逮捕した小柴も小牧に恋心を抱いている。
戦後植村は釈放され、夫を亡くし未亡人となった小牧をモデルに絵を描き続け、二人の仲は進展する。小柴は公職追放となるが、復帰してから小牧に執着し、交際を迫ったあげく断られ、彼女を殺害してしまうのである。周到な計画を立てて殺人を実行した小柴のアリバイ工作を、心理試験によってくずそうとする警部宇佐美諄との駆け引きがほぼ原作を踏襲している。
この映画は1946年、つまり敗戦の翌年に制作された。発端となる時代設定がその2年前で、殺人は戦後のことだから、当時にあってはほとんど現代ドラマとして作られたことになる。むろん戦前と戦後では一、二年の違いでも大きな差があるだろうから、その激変期を体験していない者としては何とも言えないのだが、当時の人々はこの「現代ドラマ」をどんな気持ちで作り、どんな気持ちで観ていたのだろう。ストーリーを離れ、そのあたりが気になって仕方がない。
戦時中に憲兵に逮捕され、終戦によって立場ががらりと逆転して自由を謳歌するという様子はあまりに図式的なのだけれど、すでに46年時点でそういうとらえ方が浸透していたのだろうか。言い方をかえれば、敗戦直後の時期において、戦争中という時代に対する距離感は、戦後だいぶ経ってから生まれたわたしたちが戦争中の時代に対して感じる距離感とさほど違わないような気がしてならないのである。敗戦直後からすでに戦時中は「遠い昔」として客体化されていたのだろうか。それともこれは映画だから、そうした図式化された構図が提示されたのか。
乱歩はこの映画にどう接していたのか、手近にあった『探偵小説四十年(下)』*3光文社文庫版全集29)をめくってみると、面白いことが書いてある。ちょうど企画立案から完成までの時期の日記が残されており、それが引用されるかたちで叙述されているのである。
それによれば、昭和21年5月25日に、大映のプロデューサー加賀四郎と脚本家(この映画の脚本を書いた)高岩肇が来訪し、「心理試験」映画化を申し入れ、29日に乱歩は映画化承諾の返事をする。『探偵小説四十年』執筆時における乱歩の註によれば、映画のタイトルを「パレットナイフの殺人」としたのは、当時の大映社長菊池寛の発意によるという。乱歩作品の映画化は、戦前の「一寸法師」に次いでこれが二作目だというから意外だ。あれだけの人気作家なのに、戦前は探偵物に対する厳しい検閲のため映画とは無縁だったらしい。
7月1日にふたたび加賀・高岩両氏が乱歩邸を訪れ、筋立てについて五時間以上話し合っている。5日には二人に加え監督久松静児も来訪し、乱歩が案を出している。このように乱歩はこの映画のシナリオに深く関与していたことがわかる。乱歩自身も満足感をおぼえており、「はたして、この作は私の原作映画化のうちで、最近の「十字路」についで好評のものであった」と書いている。
8月15日(終戦から一年目)には映画関係者と早稲田大学心理学教室を訪れ、映画で使用するウソ発見器をテストした。10月4日に試写を観、「割合まとまっているが、殺人動機が無理、犯人のまいるところも無理なり。変った映画にはなっている」と感想を書く。12日に大映本社での試写会で、探偵作家クラブの前身である「土曜会」の仲間と鑑賞し、封切をむかえている。
たぶんほかにもエッセイなどで映画に触れているに違いないが、いますぐ探すことはできない。乱歩に夢中になっている頃、こうしたくだりを読んで「一度観てみたいなあ」と半ば叶わぬ夢のように憧れを抱いていた映画をこんなあっさりと観ることができるなんて、時代は変わったものである。

*1:唯一円谷プロの「恐怖劇場アンバランス」に興味あり。

*2:植村謙二郎と言えば、この10年後に封切られた川島雄三監督の「洲崎パラダイス 赤信号」にて、家に帰ってきてすぐ情婦から殺されてしまう轟夕起子の旦那役が印象深い。この頃は主役格の俳優だったのか。

*3:ISBN:4334740235