人間谷崎潤一郎の魅力

谷崎潤一郎伝

小谷野敦さんの新著谷崎潤一郎伝―堂々たる人生』*1中央公論新社)を読み終えた。
今年は谷崎生誕120年とのこと。帯にそうある。もっとも小谷野さんはそれを意図して書いたわけではなかろう*2。小谷野さんが谷崎の詳細な評伝を書いたということに多少意外な感を抱いたが、「まえがき」や「跋文」を読むと、小谷野さんは若い頃から谷崎に心酔し、「谷崎先生」と呼ぶほど敬愛していたとあり、さらに中味を読むと、谷崎が悩まされていた「汽車恐怖症」にも通じる神経症を抱えていた身として共感を抱いていたようでもあって、書かれるべくして書かれた作品なのだと納得した。
もとより本書は作品論を意図して書かれたわけではない。谷崎の作品論は「マゾヒズム」「母恋い」「関西体験」などといったキーワードで論じ尽くされ、近年流行した文学理論を使えば、誰でも似たような作品論となることが分っていたので、あえてそれを避け、生身の、人間としての谷崎潤一郎像に迫るという方法で谷崎を論じることにしたという。
谷崎の詳細な年表を作ることから作業が始まり、書簡・来簡や随筆のたぐいから実人生を再現していくにつれ、「谷崎が私の中で次第に形をなし、息づいてい」き、「遂には、その体臭すら感じられるようになった」。小谷野さんは「好色な中年男の嫌な体臭」をも受けとめ、一人の人間としての谷崎潤一郎の足取りを一冊の本にまとめることに成功した。
わたしも谷崎好きとしていろいろな谷崎本を読みかじってきたから、だいたいの谷崎の人生の歩みは知らないわけではない。だから、いまさら作品論から離れた詳細な伝記を読んだところで、とくに目新しい事実が得られるでもあるまいとあまり期待せずに読み始めたところ、これが面白い。一気に読んでしまった。
書かれてあることは、その目的どおり、谷崎自身が記した文章や書簡・来簡、周囲の人間の証言などから、年をおって谷崎潤一郎という作家の人生を細かく再現してゆくものに違いないのだが、そうした営為を通して小谷野さんがつかんだ谷崎という人物像が、小谷野さん独特の切り口と率直な叙述で提示されるから、それで目を開かされた点が多い。
たとえば第六章「関東大震災前後―横浜から関西へ」で、大正期の谷崎について、駄作凡作が多いにもかかわらず、昭和初期にかけてすでに鏡花や藤村・荷風・花袋らとともに「大家」として遇されていたのはなぜかという謎に迫ろうとしているくだりに興奮させられる。この問題について小谷野さんは次のように論じる。

勢いのようなものが谷崎にあり、時勢の推移があったことは確かだが、谷崎の作品は、後進の作家に影響を与え、時にその後進が谷崎を凌駕してしまうということがある。(165頁)
その例として引き合いに出されたのが、日本古典を題材にすることや支那趣味の面で影響受け、それをさらに精巧に仕上げてしまった芥川龍之介や、昭和以降の日本古典を使った作品をさらにエロティシズムの面で醸成させた舟橋聖一らである。さらに「ここで気になるのは」として、江戸川乱歩の例をあげている。
谷崎は、乱歩に対して不安を覚えていたと思う。「影響の不安」である。ただし、この語を用いたハロルド・ブルームが言うような、後続者が先行者に対して感じる不安ではなく、僅かに年長の先行者が、後続者が自分のモティーフを完成させてしまったことに対する不安である。(167頁)
乱歩は、谷崎が提示した「性欲と恋愛を犯罪をからめた」ティーフを受け継ぎ完成の域に到達させたため、谷崎は乱歩作品に恐怖を覚えつつ接したのではないかと指摘する。戦後に書かれ中絶した「残虐記」はまるで乱歩作品のようだとし、中絶の要因を「谷崎の中にあった、ある独自のモティーフが乱歩に簒奪されてしまったため」と推測する。「簒奪」という言葉はいかにも剣呑だが、たしかに「残虐記」はそういう小説であり(→旧読前読後2000/5/31条)、ついでに言えば昭和初期に書かれてこれまた中絶した長篇「黒白」も(→旧読前読後2000/5/21条)乱歩調であって、中絶の原因も同じかと邪推したくなる。
「大家」の謎については、乱歩に対する「影響の不安」という鋭い指摘に論述の比重が移ってしまったため、小谷野さんの見解がはっきり示されないまま尻すぼみになった感があるが、谷崎が後年乱歩や探偵小説を遠ざけるような行動をとるのは、小谷野さんの見解ですっきり理解できるような気がする。乱歩にくらべ横溝正史のほうがより谷崎と懇意にしているような印象があるのは、谷崎が横溝に「影響の不安」を感じていなかったからなのかもしれない。
荷風からの来簡に「朶雲拝誦」(「朶雲」とは相手の手紙を敬った表現)とあったことについて、こうした表現を使う谷崎の書簡は一通しか見いだせず、それは荷風書簡の三年後に旧友和辻哲郎に宛てた書簡であることを指摘し、荷風の真似ではないか、「一度使ってみたいと思っていて、和辻に分かるかどうか試すような気持ちで使ったのかと想像すると、稚気愛すべしである」(253頁)と喝破したあたり、書簡を丁寧に読み込んで詳細な年表を作ったからこその産物だろう。わたしも読んだ本のなかに格好いい言い回しがあるとメモし、いずれ何かのおりに使ってみたいと考えるような人間だから、谷崎の気持ちがよくわかって苦笑してしまう。
本書ではほかに、谷崎松子夫人に対する谷崎の熱烈な崇拝という話は「松子神話」というべきもので、谷崎は半ば遊び心で松子夫人宛の書状を書いていたなど、一般の谷崎ファンにとってはこれまでの認識を一変させる指摘もある。人間谷崎潤一郎の一生という大きな流れのなかに、こんな珠玉のエピソードがちりばめられており、それが本書の魅力のひとつであるのだが、やはり谷崎潤一郎という人間にも人を惹きつけてやまない何かがあって、そうでないと400頁を超える浩瀚な伝記はそうそう一気に読めるものではない。

*1:ISBN:412003741X

*2:奇しくも初代吉右衛門が今年生誕120年で、9月に大顔合わせの120年祭興行が企画されているが、吉右衛門と谷崎が同年だったとは。本書には谷崎は菊五郎贔屓で吉右衛門は嫌っていたらしいと書かれてあり、興味深い。