月曜からスラップスティック

「牛乳屋フランキー」(1956年、日活)
監督中平康/脚本中平康・柳沢類寿・西河克巳/フランキー堺坪内美詠子/毛利充宏/小沢昭一市村俊幸/柳谷寛/中原早苗宍戸錠小園蓉子丹下キヨ子/水の江滝子/岡田真澄/織田政雄/西村晃

本務に直接かかわる仕事で忙しくなっても、「忙しい」「体力的にきつい」と感じるだけで、好きでやっている仕事だから、愚痴ることはあってもたいがい文句は言わない。本務に付随するような、いわゆる「雑用」も、これまた給料のうちと思えばこそ、文句を口に出さず甘んじて淡々とこなしたい。
しかし雑用も自分の処理能力の限界を超えはじめたり、雑用とすら呼べない(呼びたくない)仕事がのしかかってくると、もういけない。わたしの悪い癖で、そこで生じたストレスを、自分の好きな世界の領域に没入することで発散しようとするため、ストレス相応のことをしてバランスをとろうとする。ストレスが大きいほど解消法も大げさになり、無理してストレス解消をしているような事態に陥る。
たとえ眠くとも、わたしの場合寝ることはストレス解消にならない。本を買うか、読むか、映画を観るか。本を読むにしてはあまりにも眼と頭がくたびれ過ぎた。ビールをあおって愉快な映画を観るにしくはない、と落ち着く。睡眠時間を圧迫し、翌日以降に疲れを増幅させることを知りつつ、こうでもしないとやっていけない。
さて衛星劇場でのフランキー堺没後10年特集、とうとうかの傑作の誉れ高い「牛乳屋フランキー」が放映されたので、観ずにはいられなかった。小林信彦さんが大絶賛するこの映画、中平康の遊び心がいっぱいにつまった、いまのわたしの状態にはぴったりの作品だった。
長州の田舎から、親戚の経営する牛乳屋を手伝うため上京したフランキー堺が、ライバル店(ブルドック牛乳)との争いに打ち勝って店を立て直すという爽快な筋立て。小沢昭一が兄貴分として配達通路を教えるのだが、フランキーが入った翌朝に相手方に鞍替えしてしまう。小沢とフランキーのライバル同士の掛け合いが無性におかしい。
ある時など配達で鉢合わせした二人は、つい意地を張って自転車で町内を競争して走り回る。事の愚かさに気づいて自転車を止める小沢昭一に対し、フランキーは気づかず自転車を走らせ遠くに去ってゆく。次のシーンが西浦和の交番。東京に帰る道を教えてもらっている。フランキーの牛乳屋は世田谷区代田にあるのだ。愉快愉快。代田あたりの屋敷町の風景も目を楽しませる。
話は最初に戻って、東京駅に降り立ったフランキーを迎えに来たのは、牛乳屋の子供。タクシーをつかまえ、降り立つやいなや、フランキーは地面に正座して遙拝の姿勢をとる。次のシーンが「後楽園球場」。フランキーは「宮城」と間違えているのだ(文章にしたら面白くないなあ)。
「ぶーちゃん」こと市村俊幸の異様な雰囲気といい、彼に太陽族の真似をさせ、「狂った果実」のセルフ・パロディをしたり(市村の部屋には「狂った果実」「太陽の季節」のチラシが貼られている)、小説家を志す市村の書いた習作のタイトルが「狂った太陽」だったり、いたるところギャグがちりばめられている。
最後にライバルのブルドック牛乳は脱税の疑いをかけられ、国税庁の役人が店にやってくる。役人は織田政雄と西村晃。二人は「江守です」「山崎です」と名乗る。以前読んだ中平まみ『ブラックシープ 映画監督中平康伝』*1ワイズ出版)によれば、江守は当時の日活常務、山崎は撮影所長の名前で、つまりは楽屋オチなのだが、この映画のあと山崎所長には二年くらい怒られ、社長には肩を叩かれて喜ばれたという回顧談が紹介されている。
沢村国太郎が、西郷隆盛そっくりの扮装で犬まで連れた「南郷隆盛」という役どころで出演。これもけったいな役だ。フランキー二役で長州から上京したフランキーの祖父と実は旧友であるという設定も、薩長という組み合わせだけに笑える。娘の小園蓉子は助監督役の若き宍戸錠と恋仲になる*2
いきなり月曜からスラップスティックの名作を観てしまったからには、今度の週末まで、どのようにしてバランスをとって暮らせばいいのだろう。面白い映画を求め、夜更かしして憂さ晴らしする毎日がつづくのだろうか。

*1:ISBN:4898300103

*2:宍戸錠のアパートの扉にある表札には、ちゃんと「助監督」と肩書きまで書かれている。映画の撮影現場では、監督の座るディレクターズ・チェアの背に「巨匠」とあるのが笑えた。