サヨナラダケガ…の秘密

お言葉ですが…7 漢字語源の筋ちがい

高島俊男さんのお言葉ですが…7 漢字語源の筋ちがい』*1(文春文庫)を読み終えた。
このシリーズを読むようになったのは、「3 明治タレント教授」を古本で買い求めてからで、文庫新刊としては「4 広辞苑の神話」から毎年の恒例行事となっている(下記感想集参照)。文庫になるまで我慢するので単行本は買っていない。
本冊の白眉は、「ヒロシとは俺のことかと菊池寛」のパートに収められている名前の音読みについて書かれた一連のエッセイと、「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」のパートにまとめられた、かの有名な井伏鱒二の訳詞の由来をめぐって書かれたエッセイだろう。それらに触れる前に、気になった文章をいくつか。
まず、高島さんは相変わらず斎藤孝さんをお気に召さないのだなあということ。「ドンマ乗りとカンカンけり」にて、「ドンマ乗り」(馬乗り)の身体論について、歴史をたどらず自身の体験だけで一般化することの危険性を暗に皮肉っている。おまけに〔あとからひとこと〕では、高島さんと似た感想をもった池内紀さんの来簡まで紹介するという念の入れようだ。
次に鴎外の気骨篇。「わけ」は本来「訣」であるべきなのに、「譯」の手書き字「訳」と似ているから同一化され、「譯」も「わけ」と読まれるようになり、そちらのほうが一般化してしまったという話。鴎外は博文館で出す予定だった単行本で「譯」を「訣」と校正で直したのに再校ではまったく修正されていなかったため、博文館から単行本を出すことを拒否したという挿話である。高島さんは「一字もゆるがせにしないこの態度は、見習わなければなりません」と書くが、わたしも見習いたいものである。
以前『木もれ陽の街で』について触れた諸田玲子さんの時代小説に使われている現代的な言葉づかいをこき下ろした「連絡待ってますよ」も壮絶なのだが、それはおいて、まず名前音読みの話について。
何より名前を音で呼ぶほうが敬意をこめた呼びかただとする論に目から鱗が落ちた。これについては、森銑三山田孝雄からそう教わったという話を『思ひ出すことども』から引用しているが、読んでいるはずなのに記憶にないから、なおさら情けない。音読み敬意論については、徳川慶喜を「ケイキ」と呼ぶことが例としてあげられている。
実際慶喜を「ケイキ」と呼ぶのを耳にした(そして奇異に感じた)のは、大学生のころ受講した法学部の「日本政治史」の授業だったか。慶喜の回想録『昔夢会筆記』を取り上げた講義で、先生が「ケイキ」と呼んでいたような気がする。また、わたしの恩師も「ケイキ」と呼んでいた。こうした言い方がサラリとできた先生方は、きっと音読みが敬意を込めた呼び方であることを知っていたのだろうから、あらためて敬服する。
本来「隆永」という名だった西郷吉之助が「隆盛」になった経緯や、弟従道も本来「隆道」なのに「従道」になった理由など、なんともおおらかでおかしい。
さて「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」の一連の文章(「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」「臼挽歌」「アサガヤアタリデ大ザケノンダ」と余録的な「人が生きてりゃ」)もまた、落としては持ち上げてという起伏があって、全体として丁寧な考証随筆となっている点、素晴らしい。
『厄除け詩集』に掲載された訳詞は実は井伏鱒二本人によるものではなく、彼の父親が何かの本から抜書きした訳詞に手を入れたものにすぎず、剽窃と言われてもしかたない」という由来を紹介したうえで、井伏の父が参照した本の写本系統を論じ、最後に数多く収められた訳詞からすぐれたものだけ選んで発表した眼識を褒め、その二年後にふたたび試みたさいには自在に手を加え、ほとんどはじめから訳しなおして結果としてあの名句が紡ぎだされた点を賞している。けれども、最後に、井伏がタネ本の存在をはっきり言わなかった点をちくりと刺すことも忘れない。
そもそも「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」の詞を高く評価し、「崇拝した」とまで書いているから、底には井伏鱒二に対する愛情があるのだ。冒頭で紹介されている、三鷹禅林寺で営まれた「桜桃忌」において、お寺に行った高島さんが、寺の便所で井伏と隣り合って用を足した思い出を書いており、これが話の発端としてなかなか効果的なのである。
崇拝する先生の隣で用を足したときの感慨を読んでいたら、わたしも以前歌舞伎座のトイレで村上龍さんを目撃し、下高井戸シネマのトイレで加藤武さんと隣り合ったことを思い出した。村上さんはともかく、加藤武さんと隣で用を足していたときはなぜか緊張したなあ。