三頁の向こうがわ

文士のいる風景

大村彦次郎さんの文庫オリジナル新刊『文士のいる風景』*1ちくま文庫)を読み終えた。本書の執筆意図は「あとがき」に簡潔に記されている。

本書はかつての拙著〈文壇物三部作〉の中から、私なりに棄てがたく思う作家生活の断片や挿話のあれこれを抽出し、あるいは手を加え、あらためて構成した文壇ショート・ストーリーである。昔ふうにいえば〈文壇百話〉。ただし、作家のゴシップ集にはならないように配慮した。
〈文壇物三部作〉とは、たしか『文壇挽歌物語』『文壇栄華物語』『ある文藝編集者の一生』(すべて筑摩書房)を指すはず。これに加え、大村さんには、三部作に先行するかたちで『文壇うたかた物語』があり、三部作後、時代小説作家を中心とした文壇ストーリー『時代小説盛衰史』が書かれた。このうち三部作の一『ある文藝編集者の一生』のみ、持ってはいるが未読である*2
一読すると、たしかに既読の大村作品にある挿話が再利用されているから、三部作ほかの大村さんの作品世界にいまだ触れていない読者向けにその魅力を伝えるダイジェスト版というおもむきがないではない。けれども、わたしのようにある程度大村作品に親しんだ読者も楽しめる工夫が凝らされていて、買って損ということはないと断言できる。
先に引用した「あとがき」にて、〈文壇百話〉と言い換えられているように、まさしく本書は百人の文士について書かれている。一人分きっちり三頁。1946年に亡くなった武田麟太郎から、昨年2005年に亡くなった丹羽文雄まで、生年順ではなく、死没年月日順に並べられているのがユニークだ。しかも武田と丹羽は同じ1904年(明治37)生まれのライバル同士だった(「あとがき」)というから奇縁である。この二人の没年差60年の間に、残り98人の文士たちのポルトレが詰め込まれている。
取り上げられている文士はみな、一冊の本というボリュームとして評伝が書かれてもおかしくないような人ばかり。それをたった三頁という極限的な紙数に凝縮し、なおその個性を浮き立たせようというのだから、ただならぬ試みである。亡くなった順番に並べられているということからもわかるように、だいたいその文士の“死の風景”を中心にポルトレが描かれているのだが、それがたんに“文士百人の死に方”的な文章になっていないところが、腕の見せ所と言うべきだろうか。
文庫本三頁という空間に文業と個性を封じ込めるためには、その文士の一生のうちどこをどんなふうに切り取るかという高度な判断を必要とする。そのうえ三頁で文士の人柄を読者に感じ取ってもらうための見せ方にも工夫がいるだろう。三頁はあくまで氷山の一角、書ききれなかった挿話は当然ながら山ほどあり、それらが三頁の背後に広がっていることを思わずにはいられない。
たとえば、よく知っているつもりでいた戸板康二さんについては、戸板さん本人の伝記的・文壇人的挿話は必要最小限にとどめるかわりに、小泉喜美子との交遊について多くの字数が費やされている。小泉喜美子が不慮の事故で急逝したさいの戸板さんの行動は次のようなものだ。
(中国から―引用者注)帰国した翌朝、電話で訃を知らされ、一瞬、絶句した。葬儀の日、戸板は京橋明石町の喜美子のマンションに焼香に赴いたが、年老いた両親が祭壇の両側に立ち、会葬者を送迎する姿は正視できなかった。戸板は明石町の喜美子宛に、源氏物語を気取って、〈明石の上〉と書いた手紙を出したことを思い出した。(279頁)
もとより三頁に文壇作家としての評伝的事実を余すことなく収めるのは無理である。この戸板さんの一文がいい例で、知友の死に際してとった行動から、間接的に作家本人の肖像を際だたせようとする手法が斬新だ。大村さん特有の「物語」という叙述方法でこうした切り口を見せることができるのも、文士同士の緊密な人間関係を土台に構築された文壇という特殊な社会があればこそということなのだろうか。
とりわけ印象的なのは、最後のほうにきて、吉行淳之介杉森久英八木義徳の項でたてつづけに十返肇との関係を物語る挿話からそれぞれの「風景」を見せたことである。吉行は十返の葬儀で弔辞を読んだとき、声が詰まった。杉森は長い付き合いのあった十返の死にあたり書いた追悼文に、平野謙がケチをつけてきたことに激昂した。八木は丹羽文雄の主宰する会で無礼な振る舞いに至った十返を殴りつけようとした。三者三様、十返肇との交友からそれぞれの人物像が逆照射されている。
もちろん十返肇にも一項割かれている。そこには藤原審爾小説新潮賞受賞祝賀パーティに、死の病床から駆けつけてきた彼の姿が描かれている。一人三頁の〈文壇百話〉として、百人の文士のポルトレ集という体裁をとりながら、読み終えたあとあらためて振り返ると、一つ一つの話が連鎖的につながって最終的には全体として一冊の文壇物語となるような構成に唸らされた。

*1:ISBN:4480422315

*2:『挽歌』は2004/4/29条、『栄華』は2003/12/31条、『うたかた』は2003/12/12条、『時代小説』は2005/12/6条に感想を書いた。