第82 映画三昧、川本三昧

南荻窪中央公園

ちょっと朝から天気が良くなかったけれど、阿佐ヶ谷めざして午前中に家を出た。今日からラピュタ阿佐ヶ谷にて、待望の特集「銀幕の東京〜失われた風景を探して」が始まるのだ。別に初日だからと意気込んだわけではないのだが、諸事予定を勘案し、上映作品中もっとも観たいと思っていた川島雄三監督の「銀座二十四帖」を観ることのできる日が今日しかなかったのである。しかも「銀座二十四帖」は特集劈頭を飾る上映作品だ。
上映時間は昼過ぎだが、早めの番号を取りたいので、モーニングショー(桑野みゆき特集)が始まった直後あたりに阿佐ヶ谷に着いた。チケットを購入したところ、会員のスタンプがちょうど区切りの回数に達し、招待券を一枚頂戴する。また、過去のモーニングショーのチラシの余分がないか尋ねたところ、快く頒けていただいた。
それから昼まで、阿佐ヶ谷駅ビルにあるコーヒーショップにて、コーヒーを啜りながら、家から携えてきた読みさしの本を読みついだり、モーニングショーのチラシを見たり、期限が一ヶ月と切られている招待券で何を観るか、「銀幕の東京」のパンフレットを眺めて次の予定を立てたりと、あっという間に時間は過ぎる。
昼は、前回阿佐ヶ谷を訪れたさい、帰り際に見つけ、次回行ってみようと心に留めておいた山形ラーメンの店「麺屋本笑家」(北口正面のビル「パサージュ」の2階)で「からみそラーメン」を食べる。地元山形で知られている「からみそラーメン」よりもだいぶ洗練されている。でもまた食べようという気にさせられた。
さて「銀座二十四帖」。昨日の今日で、観た川島作品がまた一つ増えた。銀座の町のあれこれを紹介するナレーションは森繁久彌。ロビーに掲示されていたパンフレット(?)にある川島監督の談話によれば、「ラジオジョッキー」ならぬ「ムービージョッキー」という役回りだという。
主演月丘夢路の少女時代に彼女の肖像画を描いた謎の画家「G・M」をめぐるミステリ風味の作品で、銀座で花売りをしている三橋達也や、月丘が身を寄せている築地の料亭のそばでイーゼルを立て絵を描いている謎の画家大坂志郎、月丘の従妹で大阪から東京にモデルになろうとして出てきた北原三枝らが、銀座の町の大通りや路地裏を歩き回る。
強面で凄味のきいた顔つきをしている安部徹が軽薄な雰囲気の画家を演じていたり、佐野淺夫がヒロポン中毒で三橋にたしなめられる弟分だったり、岡田真澄北原三枝にちょっと気があるプロ野球の新人投手を演じ、そのスカウトでありつつ夜の銀座の裏で何か別の顔をもった男に芦田伸介が配されていたり、まだあどけない顔つき体つきの浅丘ルリ子が三橋の店で花の売子をしていたりと、銀座の町以外にも見どころ満点の作品だ。
肖像画にG・Mとしか署名がない人物をめぐり、三橋や月丘、大坂・安部・芦田らがあれこれと謎解きをくりひろげるまではワクワクする面白さだったが、いざその正体がわかってからはちょっと気が抜けたような展開になってしまうのが残念。上記した川島監督の談話には、大坂志郎初出演のことにも触れられていて、やはり大坂志郎はモダンな雰囲気の、謎めいた人物として映画のあちこちに登場しまくるというこの映画の役柄がぴたりとはまると大拍手だった。
特集パンフには案の定「作品選定協力」として川本三郎さんの名前があった。初日でしかも最初の上映作品だから、ひょっとして招かれているかもしれないと出かける間際に思いつき、慌てて『銀幕の東京』(中公新書)をリュックに詰めこんだ。あわよくばサインを頂こうという魂胆である。この目論見は実現しなかったのであるが。
観終えたあと、帰りの電車で『銀幕の東京』を読み返すと、大坂志郎の正体も、だいたいの筋もこのなかで触れられている。最低二度通読したはずだし、二度目はつい先日のはずなのだけれど、そこに書かれていた筋などすっかり忘れ、謎めいた大坂志郎の行動と、G・Mの正体探しに心奪われたのだから、やっぱりわたしはおめでたい性格だ。
気分良く映画館を出ると、外はすっかり雨雲がなくなり、青空が広がっている。蒸し暑いのが難点だが、せっかくのいい天気だから、先日の計画を実行すべく西へ向かった。諸田玲子さんの『木もれ陽の街で』(文藝春秋、→5/23条)で描かれた南荻窪界隈散策である。
ラピュタを訪れたとき、阿佐ヶ谷から荻窪まではときどき歩く。だからすっかり道筋は頭に入っている。むろんそのルート上にはささま書店も位置している。買うつもりでないのについつい惹き寄せられ、思わぬ散財をしてしまった。
稲垣浩監督のエッセイ集『ひげとちょんまげ―生きている映画史』(中公文庫)、西脇英夫『日本のアクション映画―裕次郎から雷蔵まで』*1(現代教養文庫)、中平まみ『ブラックシープ 映画監督「中平康」伝』*2ワイズ出版)の3冊。そうそう、ラピュタ阿佐ヶ谷では、過去のチラシを大量に頂いたのにすっかり気分が良くなって、ロビーに並べられていた、嵩元友子『銀座並木座―日本映画とともに歩んだ四十五年』*3(鳥影社)まで買ってしまったから、今日は映画本ばかり買い込んでしまったことになる。
さて荻窪はたいていささま書店付近までで、そこから足を伸ばすことをしなかったけれども、今日は一路与謝野鉄幹・晶子邸のあった南荻窪中央公園をめざす。『木もれ陽の街で』の主人公の住む高台の家から、荻窪駅までは、こんなふうに描写されている。

我が家は高台にあるので、駅までの道のりの半分はだらだら坂を下る。
坂を下りきる手前に小さな木の橋が架かっている。下を流れているのは善福寺川である。水は空が映るほど澄みきっていて、水底の小石の数まで数えられそうだ。川縁にはマルハの秋刀魚の蒲焼きだのサバの味噌煮だの、缶詰の空き缶が沈んでいて、朝陽を浴びて宝石のようにきらめていた。
坂を下りきった角には変電所がある。子供の頃、このあたりは見渡すかぎりの野っ原で、変電所の建物だけが場違いなほど堂々とそびえ立っていた。今は民家が点在しているものの、それでもこの界隈は草が生い茂ってもの寂しい。
 変電所から駅まではゆるい上り坂になる。坂の途中に青バスの車庫があって、上りきったところが荻窪駅である。
わたしはちょうごこの逆のコースをたどったわけだ。駅からゆるい下り坂を下ってゆくと、環八通りに突きあたり、目の前に鉄塔がそびえ立っている。東京電力荻窪支店とあるから、これが「変電所」なのだろう。環八を渡り鉄塔の脇を入り、さらに少し下ると、橋にたどりつく。たしかに橋が一番低い地点にない。そこから「だらだら坂」を上るかたちになって、閑静な住宅地に入る。縦横の道路は筋交い状になって、完全な十字路となっていないポイントが多い。生け垣に囲まれた古い邸宅があると思えば、更地になってアパート建築予定の看板が立てられている土地もある。
めざす南荻窪中央公園はそうした住宅地に囲まれた場所にあり、日曜の昼下がり、幾組かの家族が子供を遊ばせているような、地元の小公園に過ぎなかった。入り口に杉並区が立てた「与謝野鉄幹・晶子旧邸」の説明板があったけれど、それを偲ばせるものはあまりない。公園の真ん真ん中に立っている木が、あるいは与謝野邸の名残だろうか(写真参照)。たとえば荻窪で言えば、「大田黒公園」のような立派な邸宅跡を想像していたのだが、こじんまりしていたのが意外だった。もとはもっと広かったのかどうか、よくわからない。南荻窪界隈の住宅地としての雰囲気の良さに深いため息をつきながら、もときた道を引き返した。
『東京人』6月号における諸田玲子さんとの対談で、川本さんは、対談にさいし舞台になったあたりを歩いてみたとおっしゃっていたが、この公園界隈も訪れたのに違いない。ラピュタ阿佐ヶ谷での映画といい、この南荻窪散策といい、わたしの行動パターンは川本さんの影響を強く受けたものになっている。